2011年4月14日木曜日

仕組まれたトリックスター 出口王仁三郎

・知られざる名著        
『学理的厳正批判大本教の解剖』

オウム事件は第四次大本事件か?
麻原彰晃と出口王仁三郎

破壊活動防止法適用審査や法廷での麻原氏の言動などで一九九七年二月現在、いまだ注目を集めるオウム真理教事件だが、もしもその解散請求が通っていたならば、それは、史上初の破壊活動防止法団体適用であるとともに戦後初の国権による宗教団体解散処分となるはずであった。

私はここに戦前の二度にわたる大本教弾圧を連想せずにはいられない。

大本教といえば高橋和巳『邪宗門』(一九六七)の「ひのもと救霊会」のモデルになったことで有名だが、その弾圧は二度ともある意味で前例のない事件だった。
実は第一次大本事件(一九二二)は不敬罪で、第二次大本事件(一九三五)は治安維持法で宗教団体が起訴された最初の事例だったのである。

大本教主の出口王仁三郎は第一次大本事件では大正天皇大葬による大赦で結局は免訴され、第二次大本事件では不敬罪で懲役五年、治安維持法では無罪という判決を得て刑に服した。

さて、一九九五年五月、オウム真理教教祖・麻原彰晃氏の逮捕とほぼ時を同じくしてオウム出版から出た『亡国日本の悲しみ』には、麻原氏が自らを出口王仁三郎に擬した記述がある。

「大本教団の出口王仁三郎、彼は第二次世界大戦の日本の敗北と大きなかかわり合いを持つ偉大な予言者である。

彼に対する国家の弾圧と、そして第二次世界大戦の敗北の経緯を見てみよう。
(以下、第二次大本事件の大要と二・二六事件から日本の敗戦までの過程を語る)

大本大弾圧を境に、日本という国は焼け跡しか残さない悲惨な運命に投げ込まれていったのだ。そして、予言者出口王仁三郎が投獄されていた二四三五日と全く同じ期間、日本は連合国の占領下に置かれたのである。
なしたことは自分に返る、とカルマの法則は冷厳に宣告する。
聖者を迫害した国家の運命は、このように悲惨なものとなることが定められているのだ。
(中略)
これからもわかるとおり、予言者を弾圧した場合、このような激しい国家的な災難に遭わなければならないのである。そして今存在しているオウム真理教は、それよりも精神的ステージの高い者がそろっている。しかも出家し、ボーディチッタを、つまり性エネルギーを保全している者たちである。
この弟子たちに対する国家の弾圧は、果たして、これから迎えるであろうハルマゲドンにおいて、日本をどのような方向に導くのか、わたしはそれを考えると非常に悲しく、そして哀しみの心が出てくるのである」
(『亡国日本の悲しみ』一九三~一九七頁)

このオウム糾弾と戦前の大本教弾圧を同一視するオウム側の見解には当然のことながら批判もある。

たとえば、司馬遼太郎氏は立花隆氏によるインタビューの中で大本とオウムを対比し、「両者は似ているところがなくもない」としながら、「麻原と出口王仁三郎はまるで違います。出口王仁三郎という人は芸術がわかった」として両者の峻別を図っている。

そして、立花氏が「大本教が弾圧された時代は、大本教の方に非があるのではなく逆に弾圧した国家の方に問題があった。考えてみれば戦争中の日本はオウム的な面が多分にあったといえるんじゃないですか」と述べたのを受ける形で「たしかに戦前の日本はオウムみたいなもんですね。見ようによると、大本教の方が国際的で平和主義で、まっとうなところがありました」と論を進めていくのである。
(「司馬遼太郎「オウム真理教と日本軍」」『週間文春』一九九五年八月三一号)

いずれにしろ戦前の大本教弾圧はオウム事件との対比において、注目されたということは間違いない。
たしかに宗教と社会との関係という問題について大本教事件は恰好のテストケースの一つとなるからである。

ただし鬼籍に入られた司馬氏には申し訳なき次第だが、彼の見解には若干の事実誤認が含まれていることを指摘しないわけにはいかない。

実は戦前の大本教は決して「国際的で平和主義でまっとう」といいきれるような教団ではなかったからである。

今、私の机上には一冊の書物がある。

中村古峡著『学理的厳正批判大本教の解剖』(一九二〇)、これは第一次大本事件前夜、一般のインテリが大本に対してどのようなイメージを抱いていたかを探る上での貴重な史料である。

中村古峡は本名、中山蓊(しげる)、作家としての筆名を胆駒古峡といい、明治十四年(一八八一)二月二十日、奈良県生駒に生を享けた。
夏目漱石門下として東京帝国大学英文科を卒業、東京朝日新聞に入社するも精神医学への関心押さえがたく明治四三年に退社、東京医専に入学しなおす。昭和三年(一九二八)、医専卒業の後は千葉県千葉市に精神病院を開設した。
その著書は多く、作家としての創作には『殻』『甥』『永遠の良人』、医学関係の書籍としては『変態心理の研究』『二重人格の女』などがある。彼はまたは日本精神医学会の主幹として日本における心理学の確立に大きな役割に果たした人物である。
昭和二七年九月十二日没。

さて、『学理的厳正批判大本教の解剖』の本文の冒頭において、中村は次のように言い放つ。

「およそ世の中に馬鹿ほど恐ろしいものはない、と云ふ俗諺がある。蓋し馬鹿は、概ね独りよがりのお先まっくらで、自制や反省の念は薬にしたくても見当らず、おまけに向う見ずの無鉄砲と来てゐるので、何をしでかすか分らないからでらである。
余は大本教を思ふ毎に、およそ天下に迷信ほど恐ろしいものはないと、つくづく云ひたくなる。
蓋し迷信者は馬鹿と同じく、概ね独断で、無反省で、更に自負誇大の念に強く、ややもすると頑迷不霊に陥り易いので、果して何を云ひ出し、また何をしでかすか、分らないからである」

中村は当初、心理学者の立場から大本教祖の「神懸り状態」に関心を持ち、丹波綾部町(現京都府綾部市)の大本本部で現地調査を行ったが「宗教的内容が、予想以上に浅薄で且無稽なのに失望」した。

しかし、大本教がその後、勢力を伸ばし、社会問題となったばかりか、中村の所にも「大本教は果して宗教として存在するだけの価値あるや否や、其の鎮魂帰神法と催眠術との関係は如何、其のお筆先と予言の真偽とは如何」などという問い合わせが殺到するようになったため、この書物を著してその回答に代えようとしたという。

大本教は当初、綾部の老女・出口なほ(教祖)の「神懸り状態」に端を発したが、教団の基礎を作ったのは教祖の娘婿・王仁三郎であり、さらにそれが急成長するには東京帝国大学英文科卒のインテリ浅野和三郎の入信が契機となっている。

中村はその経緯を踏まえた上で「今日の大本教は、短刀直入にこれを云へば、つまり出口王仁三郎と浅野文学士とが、教祖の『お筆先』を種にして、巧に捏ち上げたものとも云へる」とみなす。

そして、大本教はしょせん「誤つたる一妄想の上に猿とも狐ともえたいの知れない鵺的社会を建設しようとしてゐる一曖昧団」にすぎないと断ずるのである。

中村によると、『お筆先』とは「妄想性痴呆患者の濫書症」の産物であり「私達変態心理の研究者に取つては、いささか興味ある一研究資料」にしても、それを神聖視するのは滑稽な錯誤だとする。

中村はさらに大本教の鎮魂帰神法で導かれる精神状態(神懸り)が催眠状態であること、教祖没後に公表された『お筆先』は教祖直筆ではなく王仁三郎の捏造になること、『お筆先』の予言が的中したと称するのはすべて後からのこじつけであり、実際には多くの予言が外れていることなどを論証しており、そこにはオウム真理教のマインドコントロールや麻原氏による予言の捏造などをも連想させるものがある。

次の一節など、そのままオウムの理系インテリ信者への批判に転用できるのではないか。

「大本教の幹部では、ややもすると其の信者の中には現代の知識階級を網羅してゐると誇称する。
彼等の所謂知識階級とは果して何を指すのだらうか。
曰く某々高官、曰く某々陸海軍将校、曰く某々専門博士、曰く某々実業家-
(中略)
皆夫々の道にかけては、現代の知識階級かも知れない。
然し余等の見る所にして誤なくんば、彼等は精神科学の知識にかけては殆どゼロである、否寧ろマイナスである。精神科学に無知識な門外漢が、単なる暗示に基く人格変換に驚いて、神霊の憑依を主張するのは、丁度余が前述の無教育な子供や田舎者が、蓄音機を見て、喇叭の中に人が潜匿してゐるのを恠むと同様の程度である。
こんな信者はたとへ百万人を集め得たとて、大本教の虚勢にはなるかも知れんが、大本教が迷信でないと云ふ証拠には毫もならないのである」

また、大本の鎮魂帰神法は単なる催眠術ではなく、自己暗示による人格変換であることから「覚醒後屡々思想の惑乱を来し、遂には精神錯乱に陥つて、とんでもない乱暴をしでかすこと」があったという。
中村は鎮魂帰神法が原因になったと思われる殺人事件の実例まであげている。

王仁三郎はまたトリックによる「奇蹟」を演出してもいる。

王仁三郎の元側近の証言によると、王仁三郎は『お筆先』の「煎豆に花が咲く』という予言を実証?するため、人知れず庭の一角にふつうの豆をまき、その同じ場所で信者たちの見ている前、煎豆をまいたことがあるという。
十数日後、そこから生えてきた豆の芽にトリックを知らない信者たちは驚嘆したというわけである。

王仁三郎の言動には麻原氏を髣髴とさせるものがある。

たとえば大正四年、王仁三郎は火の雨が降るという妖言を流布して、多数の信者を綾部に避難させた。
大阪のある老夫婦などは自分の店を売り払ってその金を王仁三郎に献納し、鰹節まで抱えて綾部に逃げ込んだ。
当然、火の雨など降るはずもなく、王仁三郎は「あれは幸い幽界だけですんだ」とやって信者たちに随喜の涙を流させたという。

これは一九九〇年、麻原氏が自ら予言した天変地異を逃れるため、信者たちを連れて石垣島に避難したというのとそっくりである。

また、先述の元側近の証言によると王仁三郎は大の好色家で「大本教に出入してゐる女達は大抵片っぱしから手を掛けて」いたという。
王仁三郎は「天下に私ほど不器量な者はない。それでも世の中の女と云ふものは、一度私が秋波を送ると、みんな吸い付けられて来るから不思議だ」とうそぶいていた。

これもまたワイドショーや週刊誌に賑わわせた麻原氏の性豪ぶりと通じるものがある。
麻原氏も信者の女性たちには魅力に満ちた男性だったらしい。
(実は出口王仁三郎の写真には、ひげのない頃の麻原氏とそっくりなものがある)
麻原彰晃氏と出口王仁三郎は司馬氏が言うほどには異なったキャラクターというわけではないのである。

『学理的厳正批判大本教の解剖』には東洋大学学長の境野黄洋、哲学者の井上哲次郎、インド学の権威・高楠順一郎、社会主義者の堺利彦、河上肇、国粋主義者の三宅雪嶺などが序文を寄せており、また私が持っている刷では付録として哲学者・姉崎正治による同書への書評が転載されている。
彼らはいずれも当時を代表する一流の知識人ばかりである。
彼らが中村を支持したということに当時の知識階級一般が大本教に抱いていた反感がうかがえる。


とはいえ、戦前の日本国家が大本を弾圧したのは、別に予言や奇蹟の類がインチキだからでも王仁三郎が不品行だからでもない。

『お筆先』にある「世の立替」の予言や王仁三郎の大正維新、昭和維新という主張が、時の政府から革命の予告、すなわち政治的野心の表明と受け取られてしまったのである。

第一次大本事件の際、新聞には「内乱予備の陰謀として告発」「命を的に探査の二ケ年毒殺、決闘、斬奸状」」「軍人に深い根を下した大本教」「竹槍十万本の陰謀団」「十人生き埋めの秘密あばかる」など、昨今のオウム報道顔負けの毒々しい見出しが踊った。
(このマスコミの狂騒ぶりは第二次大本事件でも再現された)

また、第二次大本事件の時にはすでに王仁三郎は多くの軍人や頭山満、内田良平ら右翼の大物たちとも交友を持っていた。
昭和維新に備え、大本から北一輝(一九三六年の二・二六事件に連座、銃殺刑に処される)に資金援助があったという風説さえある。

さらに第二次弾圧直前には王仁三郎は自ら主宰する昭和神聖会のメンバー約三千人を集めて軍事演習まがいの示威行動を行った。
王仁三郎は皇居の前で白馬に乗り、サーベルを下げて彼らを閲兵したこともあった。

二・二六事件前夜の不穏な情勢下、疑心暗鬼に脅える政府相手にこれでは、弾圧するなという方が無理だろう。

こうして見ると大本は単なる宗教というよりも一種の政治思想団体として弾圧されたということが明らかである。
だからこそ第二次弾圧に際して国家は不敬罪のみならず本来、ラディカルな政治思想団体を対象とする治安維持法でも起訴したというわけである。

なお、この第二次大本事件を契機として第二次世界大戦の終結まで、日本では国家による宗教統制・弾圧の嵐が吹きあれるが、その際には大本教への治安維持法による起訴が見せしめとしての役割を果たしたことは想像に難くない。

そしてオウム真理教も単なる宗教団体というよりも多分に政治思想団体としての性格を持つ組織であった。
彼らは「真理党」として九〇年の衆議院選挙に出馬、二五人の候補者を立てるも全員落選している。
また、組織運営には国家を模した省庁制を採用、信者の一部で軍事演習まがいの訓練を行い、国家権力掌握後に発布するべき真理国基本律(オウム憲法)の草案まで準備するなど政治的野心に燃えた集団だった。
地下鉄サリン事件はその政権掌握計画の第一歩だったのである。

だからこそ、戦前の治安維持法と同様、本来は政治思想団体を対象としたはずの破防法がオウムに対して適用されることになったのだ。

王仁三郎は大正時代からすでにマスコミ工作の重要性を理解しており、一九二〇年には当時の大新聞社の一つ、大正日々新聞を買収している。

これは第一次大本事件の引き金ともなった。

そして麻原氏もマスコミ操作には巧みな手腕を示し、テレビや大手出版社からの雑誌(学研『ムー』など)を利用して教勢を伸ばしていった。

また、オウムではマスコミに叩かれたり警察と衝突した場合、それを「弾圧」としてマスコミに訴え、大衆の共感を求めるという対マスコミ戦術を多用しているが、これも第一次大本事件をバネとして急成長した戦前の大本教から学んだものかも知れない。

オウムでは地下鉄サリン事件以降も権力やマスコミによる「弾圧」を訴え、教団内部の結束を図ったのだが、その被害者意識の裏付けの一つに戦前の大本教弾圧があったこと、先述した麻原氏の発言からもうかがうことができる。

その他、フリーメーソン(マッソン)による世界征服という妄想や、世界最終戦争への待望なども王仁三郎と麻原氏の共有する思想的特徴である(中村古峡は大本教のフリーメーソン陰謀論について「あまりの馬鹿々々しさに、開いた口がふさがらぬとは此のことである」と評している)。

王仁三郎は一九二四年、モンゴルに入った際、「大本ラマ教」なるものを奉じ、自らダライ=ラマを称していたが、麻原氏はオウム真理教の教義をチベット仏教の用語で説明し、本物のダライ=ラマとの交友を宣伝のため、最大限に利用していた。

こうして見ると、戦前の大本教とオウム真理教とでは教義面でも共通性をあるといえよう。


しかし、麻原氏が王仁三郎のコピーだとして、それが粗悪なコピーであることもまた否定できない。
第一、大本教はオウム真理教のような凶悪犯罪を犯してはいないのである。

弾圧事件当時の新聞は大本についてあることないこと書き立てたが、実際には当局の必死の捜査にも関わらず、内乱予備や凶悪犯罪を証拠立てるようなものは一切発見されなかった。
だからこそ、大本は二度にわたる弾圧にも耐え、再建を果たすことができた。

あるいは王仁三郎が昭和維新を奉じる皇道派の青年将校たちと連動してことを起こせば、大本が何らかの政治的役割を果たすこともありえたかも知れない。
しかし、二・二六事件が勃発した時、王仁三郎はすでに獄中にいて、その事態に対し一切の責任を負うべき立
場ではなかった。
政府が王仁三郎と皇道派との分断を図っていたとすれば、その狙いは一応的中したといえよう。

しかし、弾圧はむしろ結果として、大本教と王仁三郎を日本的ファシズムの成立、ひいては第二次世界大戦の敗戦から免責することになったのである。

戦後、大本教は平和主義だった、あるいは反ファシズム、反天皇制の教団だったために弾圧されたなどという誤解が知識人の間に広まることになるが、その原因はこのあたりに求めることができよう。

詐欺まがいの奇蹟や予言、教団代表者の不品行などはさまざまな新興宗教に見られる現象であり、たとえ発覚したとしても、それだけでは決して教団にとって致命的なものではない。

戦前の大本教のみならずオウムと共通の問題を持つ教団は少なくないが、そのすべてが凶悪犯罪に走るわけではない。
五十歩百歩といえども、その五十歩の差は大きいのだ。

それに現在の大本は政治的にはきわめて穏健な教団であり、戦前のようないかがわしさは払拭されている。
だが、オウム真理教は決して大本のような形では再建することはないだろう。

出口王仁三郎は陸軍、海軍問わず将校クラスの現役軍人を多数シンパとしており、それがまた国家に大本を畏怖させる原因の一つとなっていた。

ところが麻原氏は自衛隊へのオウム浸透を図ったが、ついに尉官、佐官クラスの信者を獲得できず、軍事的には素人の教団幹部が明確な作戦もないままサリンなどを扱わなければならなかった。

かくして地下鉄サリン事件は、その戦術目標が何だったにしろ、無意味に人々を苦しめ、死に追いやるだけに終わってしまったのである。

オウム真理教の施設にはサリンのみならず、その他の犯罪行為をも示す多くの証拠が残されていた。
教団ではそれらの犯罪の責任を逃れるため、姑息な言い逃れを繰り返し、結果としてその恥部をいっそう世間の目にさらすことになった。
この経緯を私たちは決して忘れることはないだろう。

後の世にオウム真理教が論じられる時、それは必ず地下鉄サリン事件をはじめとする凶悪犯罪のおぞましい記憶と共に語られることになるはずである。
それというのも、麻原氏や教団幹部たちの言動があまりにも粗雑にして稚拙だったからなのだ。

オウム真理教とは、戦前の大本教が内包し、そして現在の大本教団が切り捨てたところのいかがわしい面だけを集めて純粋培養したような宗教だったということもできよう。
オウム真理教はある意味では大本教のネガなのである。


さて、ここで興味深い問題がある。『日出る国、災い近し』(オウム出版)によると、麻原氏は繰り返し世界最終戦争はアジアの盟主たる日本とアメリカを中心とする連合国との戦いになると説いていた。
そしてその戦争の後、日本は一時、連合国に占領される(オウムの本当の出番はその後だという)。
また、麻原氏はヒヒイロカネなる神秘金属を用いて、ハルマゲドン後の広島にタイム=スリップしたことがあるとも主張していた。
(『ムー』一九八五年十一月号、『トワイライトゾーン』一九八八年一月号、他)
なぜ、彼は広島に行かなければならなかったのだろうか?

これがたとえば一九二〇年代あたりに出された予言だとすれば、それはまさに的中していたことになるだろう。

第二次世界大戦はまさにアメリカを中心とする連合国と日本との対決の様相を呈し、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下をもって実質上の終焉を迎えたからである。

ここに興味深い分析がある。

清水アリカ氏によると、麻原氏のハルマゲドン予言は世紀末的未来を差し示すものではなく、過去におけるヒロシマ、ナガサキの想起に基づくものであり、その反米思想も来るべき日米戦争などではなく、過去の日米戦争にその根拠を持っているというのである。
(「「サブカルチャー的悪夢」と革命的想像力」『ジ・オウム』太田書店、一九九五、所収)

かつてオウムと同様のハルマゲドン予言は大本教によっても説かれていた。
そして、その予言をなぞるかのように日本は連合国と戦い、廃墟が残された。

王仁三郎は日本の敗戦以降、政治的な発言を止め、陶器作りなどの芸術的活動に専念した。

この沈黙は戦後、大本教団が健全な再建を行うのを助けることになる。

あるいは彼は第二次世界大戦をもって予言の成就とみなし、すでに自分の使命は終わったと心得ていたのかも知れない。

大本教におけるハルマゲドン予言は結果として「予言」といってもおかしくないものになったが、オウムのハルマゲドン予言は過去に起こった事件の未来への投影にすぎない。
ここでもオウムは大本教のグロテスクな模造になってしまっている。

麻原氏と王仁三郎の共通点には偶然のものもあろうが(たとえば女性信者にとっての魅力など)、麻原氏の方でかなり意図的に王仁三郎から学んだとみられるものもある。

その際、重要なテキストとなったのは武田崇元(洋一)著『出口王仁三郎の霊界からの警告』(光文社、一九八三年)であろう。

この書籍は王仁三郎を大予言者として、あるいはカリスマ的政治指導者、霊的革命者として評価するものである。それによると、王仁三郎は大正時代、すでにワープロやファックス、テレビ、リニアモーターカー、クレジットカードなどをも予言していたという。

もっともそれらハイテク関係の予言というのは、実際には武田氏によるこじつけの域を出ていないのだが、おりからの予言ブームで同書もベストセラーとなり、予言者・出口王仁三郎というイメージを一般に流布することになった。

また、武田氏は同書の中で王仁三郎のファシスト的側面をも肯定的にとりあげた。

それは戦後に定着した王仁三郎のイメージ、すなわち平和主義者、反戦主義者という虚像をくつがえすには効果的だったが、結果としてファシズム礼讃となったことは否めない。
もっとも武田氏は以前より自らファシストを標榜しており、同書の狙いの一つにファシズムの思想的復権があったとみなすこともできよう。

麻原氏の予言好み、ファシズム的傾向、マスコミ操作の技術などに『出口王仁三郎の霊界からの警告』が影響を与えたであろうことは想像に難くない。

なお、武田氏の思想がオウムに与えた影響については拙文「オウム真理教事件と現代日本の偽史運動」(『季刊邪馬台国』五八号所収)等を参照されたい。

ちなみに『出口王仁三郎の霊界からの警告』は、王仁三郎を単に一教団の教祖としてではなく日本近代史上の巨人として位置付ける内容であったため、オウム以外のカルト教団からもしばしば利用されている。

最近では、『出口王仁三郎の霊界からの警告』に基づきつつ、統一教会(原理運動)の文鮮明氏こそ王仁三郎の予言した真の救世主であると唱える書籍まで出された。

それによると、王仁三郎(およびその前世というスサノオ)と文鮮明氏の間には、宗教統一を唱える、淫行の教祖として非難をあびる、政府の弾圧によって投獄される、など二二項目の共通点があるという(高坂満津留『出口王仁三郎の救世主大予言』光言社、一九九六)。

出口王仁三郎礼讃の流行が超能力者待望の風潮を生み、それがオウムや統一教会、阿含宗のようなカルトの受け皿を提供したという側面も無視できないだろう。

現在、活躍している自称超能力者については、うさんくさい面もおのずと目につくし、トリックを暴くことも比較的容易である。ユリゲラーやサイババなどはその類だ。

また、神話上の人物や架空の人物、遠い過去の人物がいかに超能力を奮っても、それは現代の読者に実感をもって迫るものではない。

ところが王仁三郎が活躍したのは大正時代から昭和初期という比較的近い過去である。
本物の超能力者が実在したという印象を与える上で、王仁三郎の例はもっとも有効なケースなのだ。

今、大本教の刊行物や『ムー』などのオカルト雑誌も含めて、王仁三郎礼讃の雑誌・書籍は多数出版されている。ところが『学理的厳正批判大本教の解剖』を復刻しようなどという奇特な出版社は存在しない。

したがって読者には王仁三郎がいかに偉大な超能力者だったかという情報ばかりが与えられることになる。

この状況がカルトの布教にどれほど有利な状況を作り出しているかは、考えるだに恐ろしいものがある。

さて、先述した麻原氏の発言の中で、出口王仁三郎の入獄と戦後の日本占領との日数が同じだということを指摘するくだりがあった。

麻原氏はなぜ、この偶然を意味ありげに持ち出すのか。

実は、そこには大本教の教義における「型の思想」が取り入れられている。

すなわち、大本教団は日本の雛型、日本は世界の雛型であり、したがって大本に起きたことは拡大された形で日本に起こり、さらに世界に起こるという信仰である。

その観点からいけば、第二次世界大戦とは、まさに第二次大本事件の型が日本に移写された結果、起こったものだということになる。

一九八〇年、大本教団では第三代教主・出口直日の後継者の座をめぐって内紛が起き、その結果、教団は三つに分裂した。

すなわち大本本部、大本信徒連合会、そして「いづとみづの会」を母体とする愛善苑である。

この内、愛善苑は出口王仁三郎こそ救世主であるとして教主制そのものの廃止を唱え、もっとも急進的な立場をとっている。

そのため大本本部では幹部に現教主・出口聖子氏への個人的忠誠を求めるという形で結束を固め、愛善苑側ではその動向を非民主的だと非難するという形で両者の対立は進行しているのである。

この内紛は裁判沙汰にまでなっているが、宗教教団内の問題を現代の法廷で裁くのは難しく、ドロ沼化の様相を呈している。

これがいわゆる第三次大本事件であり、第一次・第二次大本事件が国家権力という外部からの弾圧だったのに対して、攻撃の火の手が教団内部から起こったところに特色がある。

出口直日は「いづとみづの会」による本部批判が始まった時、「不意打ちをうけたるよりの吾が祈り日本に型のうつらぬやうに」と詠んだ。

第二次大本事件が第二次世界大戦の惨禍として現れたように、第三次大本事件が日本にその型を現すことを恐れた祈りの歌である。

さて、直日の祈りも虚しく、第三次大本事件はすでにその型を現してしまったという説もある。

月海黄樹氏は、第三次大本事件の型はまず日本国内ではリクルート事件、世界的にはソ連崩壊と東西冷戦の終結という形で現れた、そして、第一次・第二次大本事件が対になっていたように、第三次大本事件と対になって起こった第四次大本事件こそオウム真理教事件である、と説く。

月海氏によるとオウムとは「大本教が産み落としたともいえる宗教」であり、「大本の霊系を受け継いで生まれた時代の申し子」なのだという。
(月海黄樹『龍宮神示』徳間書店、一九九五)

さて、愛善苑は王仁三郎の神格化を押し進め、王仁三郎原理主義ともいうべき方向に教義を展開させている。

王仁三郎が大正時代に口述した『霊界物語』は三五万年前、トルコはエレズレムに神都を置く世界帝国の崩壊に始まるSF調の物語だが、機関紙『神の国』など愛善苑側の刊行物にはこれがフィクションではなく、真実の人類の歴史であるという記述がしばしばみられる。

また、王仁三郎は終生、天動説と地球平坦説を信じ、地球が丸いなどという学者は阿呆だと唱えていたのだが、そのことは愛善苑側の刊行物でもとりあげられている。

王仁三郎を神格化するということは、このような彼の歴史観・宇宙観をも受け継ぐということである。

愛善苑が王仁三郎のオカルト・擬似科学的な世界観を奉じる限り、現代の常識的な世界観との衝突は必至となるだろう。

ただでさえ王仁三郎の思想にはハルマゲドン予言やフリーメーソン陰謀論などオウムの先駆となった要素があるのだ。

先述の『出口王仁三郎の霊界からの警告』の著者、武田崇元氏は一九八九年、愛善苑の事実上の代表者である十和田龍(出口和明)氏の令嬢と結婚し、大本閨閥入りを果たした。

武田氏は最近、中島渉氏のインタビューに応え「僕はね、出口王仁三郎の信者であって、(大本教団の)どこそこに所属しているわけではないんです」「わしは、いよいよ一朝事という場合には、ちょっと言上の儀ありというので、どこでも押し出していく覚悟はしておるわけです」と述べている。
(「武田崇元80年代オカルト一代記!」『宝島30』一九九六年一月号)

しかし、客観的に見れば、現在の武田氏の立場は決して中立というわけにはいかないはずである。
現代の社会常識と愛善苑の教義の衝突が表面化した時、自らファシストを標榜するアジテイターが果たしてどのような役割を演じてくれるのだろうか。

オウム真理教事件は宗教が暴走した時の恐ろしさを私たちに教えてくれた。

その悲劇を繰り返さないためにも私たちはオウムを準備した諸思想、諸宗教について、オウムとの相違点をも踏まえた上で検討していく必要があるだろう。



                       97年2月25日  原田 実


http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/text/text2.htm











出口王仁三郎、彼は新興宗教界における稀代のトリックスターであった。

しかし無論霊能力など彼にはない!
(というよりそういうものを前提にするとなんでもありになって説明の意味を成さない。)
彼にあったのは天性の人心収攬術と、彼をトリックスターに仕立てるために動いていた背後の勢力だけである。


たとえば彼のよくやっていたトリックの一つに信者の財布の中身当てというのがある。

まあ単純なトリックで、玄関で客の上着を預かる時、配下の人間が財布をすり、中身を確かめ、また元に戻しておく。

あとで手下から情報を得た王仁三郎が、財布の中身を当てると、客はその神通力にたちまち心服してしまう。

彼はおそらく原始的だが、人間心理という物に長けていたのであろう。それに加えて人間的魅力があったのは疑いない。

どうすれば相手をびっくりさせられるか、びっくりした人間がいかに理性を失うものか、そこにどういう言動を流しこめば相手が心服するか。

つまりどういう仕込みをしてどういう演技をすれば人が奇跡だと錯覚するか?

あるいは社会のどこに駒を配すれば最も効果的な影響が与えられるか、どういうマーケティングをすれば大衆の心を鷲掴みにできるか?

それが十分分かっていたからこその心理トリックの応用であり、新聞社の買収であり、自分の代わりとして使えるインテリや右翼の取り込みだったと言える。

実際彼は霊能力などではなく、必要な分野の知識を得るために相当な努力を実際に行い、その知識に基づいて行動をしている。

ではどこで彼はこんな知恵を身につけていたのか?

それなりに利口な人間だったとは言え、しょぜんただの京都の田舎の百姓上がりに過ぎなかったはずなのに。



















・出口 王仁三郎
(でぐち おにさぶろう、1871年8月27日(明治4年7月12日) - 1948年1月19日)
新宗教「大本」の教義を整備し、戦前において日本有数の宗教団体に発展させた実質上の教祖。大本では聖師と呼ばれている。
明治4年7月12日、現在の京都府亀岡市穴太(あなお)に、農業を営む上田家の長男上田 喜三郎(うえだ きさぶろう)として生まれた。
1893年(明治26年)(23歳)の頃から園部の牧場で働きながら牧畜の下積み生活をし、1896年(明治29年)(26歳)で独立し穴太精乳館を開業。搾乳・牛乳販売業を始める。

やがて、宗教や霊能に関心を持つようになり、1897(明治30)年、喜三郎は妙霊教会の熱心な信者となった。
1898年(明治31年)3月1日、松岡芙蓉(または「天狗」と名乗ったとも)と名乗る神使に伴われて、亀岡市内の霊山・高熊山に一週間の霊的修業をする。

(注:と自著の『霊界物語』では述べている。
しかし後に背景を説明するが、おそらくこれは嘘で、松岡某は彼を何らかの思惑を持って宗教者に仕立て上げた会津小鉄一家の博徒であったのだろうと推測される。

会津小鉄こと上坂仙吉はかつて会津藩 松平容保公の寵愛を得ていた。
江戸城には松平家が在所する芙蓉之間という場所があった。

つまり富士=芙蓉は江戸城松平公よりの使者を示唆する。)

1898年(明治31年)の10月に一度、大本の開祖・出口なおを京都府綾部に訪ねている。
翌年の7月に、なおの神示により招かれて再度綾部に行き教団を改善させ、後に戦前の巨大教団であった「大本」を形作る。

1900年(明治33年)なおの末娘・出口澄と養子結婚し 入り婿となり、名前を自ら出口 王仁三郎に改める。

1906年(明治39年)(36歳)、「皇典講究所」(現:「國學院大學」)教育部本科2年に入学。翌年卒業し、建勲神社の主典となり短期間奉職する。
その後、亀山城を買収して綾部と並ぶ教団の本拠地にし、大正日日新聞を買収して言論活動に進出するなど教勢を伸ばすが、1921年(大正10年)、第一次大本事件で検挙。
同年より『霊界物語』の口述と出版を始める。 81巻83冊にも及ぶ長編の『霊界物語』では神界・幽界及び現界を通じた創造神である主神(すしん)の教えが、様々なたとえ話を用いて説かれており、教団内では人類救済の福音としての意味があると位置づけている。




・出口 直
(でぐち なお、1837年1月22日(天保7年12月16日) - 1918年(大正7年)11月6日)
大本の教祖。大本では開祖と呼ばれている。

天保7年(1836年)12月、農業を営む桐村五郎三郎の長女として現在の福知山市に出生。
出生直後から身寄りの近親者を次々と亡くし、また折からの天保の大飢饉などの影響により、桐村家は窮乏と貧困の極に達したため、幼少の頃から下女奉公に出て働くようになる。

嘉永6年(1853年)京都綾部町に嫁いでいた、出口ゆり(なおの叔母)の子となる縁ができ、養女となる。
安政2年(1855年)には夫となる四方豊助を婿養子として結婚する。(四方豊助は結婚後、出口政五郎の名を襲名)

明治25年(1892年)2月、帰神(神懸かり)状態で13日間の断食となる。帰神状態となって大声の金切り声で叫ぶなどの奇行を行なうようになると、周囲の人々からの理解はなくなり、座敷牢に押し込まれるなどの虐待にあうが、入牢中に落ちていた釘で神の言葉を文字に刻むようになり、これが後年の「おふでさき」(自動書記)と呼ばれるものへとなって行く。

宗教を発足させた当初は、金光教の傘下として宗教活動を開始したが、かねてから独立した活動を希望していた。ようやく独立した活動が可能となったのは、明治31年(1898年)10月の上田喜三郎(のちに聖師・出口王仁三郎)の出現以降となる。(明治33年(1900年)1月、上田と娘の出口澄とを養子結婚させる)

                                (ウィキペディア)


























・侠客の史跡
http://www.geocities.jp/bqwxr271/


40 綾部市 上田喜三郎 出口王仁三郎 会津小鉄一家      明治博徒
http://www.geocities.jp/bqwxr271/meibo/meibokyoto1.htm







・香具師(やし、こうぐし、かうぐし)
祭礼や縁日における参道や境内や門前町、もしくは市が立つ所などで、露天で出店や、街頭で見世物などの芸を披露する商売人をいう。
古くは、香具師(こうぐし)とも読み、主に江戸時代では歯の民間治療をしていた辻医者(つじいしゃ)や、軽業・曲芸・曲独楽などの太神楽をして客寄せをし、薬や香具を作ったり、売買していた露天の商売人を指した。

明治以降においては、露店で興行・物売り・場所の割り振りなどをする人を指し、的屋(てきや)や三寸(さんずん)も呼ばれる
1690年(元禄3年)の発行の『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』では江戸、大阪、京都の城下町や港町において、丸薬や鬢付け油売りや傀儡廻しや物真似芸や蛇見せ芸などを披露する大道芸人の様子が記載されている。



・会津小鉄 (幕末)
会津小鉄(あいづのこてつ、本名:上坂 仙吉(こうさか せんきち)、1833年7月7日(天保4年5月20日) - 1885年(明治18年)3月19日)は、京都の侠客。

生地は後の大阪市南区本町2丁目、本籍は京都府愛宕郡吉田村第140号。

行友李風の『近世遊侠録』によると背中の文身は小町桜(小野小町が桜の下にいるとされる)。全身に数十にわたる刃傷があり1853年に右の小指を、1865年に左の指を3本(親指と人差し指を残して)斬られているが、己自身も少なくとも5人は手に掛けている。

1856年(嘉永9年)頃 - 江戸会津藩中間部屋の世話となる。後、二条新地大文字町に一家を構えた。
1863年(文久2年)12月 - 会津藩兵が入京。会津藩中間部屋頭の片腕として迎える。
1864年(元治元年) - 池田屋事件、禁門の変に協力するが討幕派に狙われる。
1867年(慶応3年) - 浪人を殺し入牢するが会津藩松平 容保が助命する。
1868年(慶応4年) - 鳥羽伏見の戦いには子分500人を動員し軍夫としたが大坂へ敗走。放置されている会津藩の戦死者の遺体を葬る。この後、遺品を携え官軍のいる会津若松に潜入して目的を達する。
1883年(明治16年) - 賭博により逮捕、裁判で禁錮10月の刑を宣告され入獄。翌年、出獄。
1884年(明治17年) - 出獄すると7000人が白川村の自宅に祝いに訪れたとされる。


初代会津小鉄
慶応4年(1868年)、上坂仙吉は、博徒の上坂音吉から盃をもらい、京都市白川に一家を構えた

二代目会津小鉄
明治19年(1886年)、上坂仙吉が病気で死亡した。上坂仙吉の実子・上坂卯之松が、会津小鉄二代目を継いだ。



                               (ウィキペディア)





「江戸後期になるといよいよ渡世人・博徒・無宿者・無頼・侠客などの、いわゆる任侠ヤクザが登場してくる。鉄火場を開いて博奕で稼ぐ。
これに手を焼いた幕府が八州廻りを設置する。関八州である。

武蔵・安房・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)・常陸・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・相模をさす。この八地域の無頼・無宿は片っ端から引っ捕らえようというのである。

なぜ関八州にアウトローがふえたかというと、ここには日光街道・東海道・甲州街道・中山道・奥州街道が集中交差して紛れやすく、出入りも激しかったこと、天領が多くて身を隠れやすかったからである。
 
ここに八州警察と博徒・無宿とのはてしないどろ沼の対抗が続き、いわゆる上州長脇差(ながどす)のヤクザ風俗と悪代官の風俗が跋扈する。
無宿は住所不定者のことではなく、人別帳(戸籍)から除外された「帳外の者」のことをいう。
ここからは差別問題が派生する。
 
ここに幕末になって加わるのが、勤皇博徒と佐幕博徒の対立である。

高杉晋作なども勤皇博徒・日柳燕石(くさなぎえんせき)の盟友だった。
高杉は「燕石には子分が千人が下らない関西一の侠客だ」と書いた。

博徒が勤皇(日柳燕石・黒駒勝蔵)と佐幕(新門辰五郎・三河屋幸三郎・会津の小鉄・岐阜の弥太郎)に分かれるとともに、そこへ武装化した百姓一揆がなだれこむ。
これが赤城山の国定忠次の抗争などになっていく。
 
明治維新は、見方を変えると、薩長土肥のリーダーたちがこうした勤皇博徒と佐幕博徒とを巧みにコントロールし、そこに民権博徒をつくっていったプロセスでもあって、また秩父困民党に代表されるような農民運動をどのようにまきこみ、どのように弾圧するかという時代でもあった。

ここがわからないと明治維新はわからない。」


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0152.html









幕末期、博徒にも勤皇博徒と佐幕博徒の二種類があり、出口王仁三郎が属していた京都の会津小鉄一家はかつて佐幕博徒であった。
つまり幕府方なのである。

そして明治維新後においては、農民運動に対する間接的抑制装置としてこの博徒たちが政治的に利用されることとなる。

博徒たちは下層階級の人々の日常に深く介在し、時に宗教をも利用しその政治的な動向を誘導することさえあったのだろう。

大衆運動にいかなる思惑を持っていかなる勢力がかかわりを持ち、そこから何が生じたのかは、今となっては調べ難い。

ただ分かっていることは、その時代の仇花のごとき宗教として大本教が生まれ、そこに時代性をまとった出口王仁三郎という偉大なトリックスターが出現していた。
そこに多くの人々が魅力を感じ一種の集団ヒステリーのような動向を示しながら取り込まれて行った。

結果、そこにあったのは集団自殺を潜在的に志向するような、世界の終末を切望する宗教運動であった。(これは日本においては割と珍しい。)

僕個人は、あるいはこれは倒錯した佐幕運動の延長線にあった物語ではなかったのかと想うだけである。

けだし何かを強く熱望しながら大きな挫折を経験したものは、常に彼我一切の滅亡をこそ望むものである。
そして大本教の描く世界の終末観には、やはり出口王仁三郎や出口なおの人生そのものにまとわりつく逃れ難かった因習と個人的挫折の影が色濃く漂っている。

2011年4月13日水曜日

SLAPP訴訟魔 「メキキの会 出口光」 の場合(大本教出口家)

いやぁ。驚いた!
天下の大本教、その血筋に当たる人物がこのブログを名誉毀損で訴えると血眼になっておられるようである。

「ただ何事も人の世は直霊に見直せ聞き直せ 身の過ちは宣り直せ」(だったっけ)という自らの宗教的実践などどこ吹く風と、催告もなくいきなり世俗の法律の力を借りて、自分たちのマインドセミナービジネスの邪魔者(このブログです!)を圧殺せんと必死になっている。
そのあまりの問答無用な態度は、深く神や天命を信じる人間のそれというより、2,26事件の将校や特高警察もかくやと思わせる。
(もっといえば霊界物語に出てくる悪神の振る舞いそのもの)

「言向和す(ことむけやわす)」
たしか大本教の教えではそう言うのではなかったかな?
力の横暴を振りかざす相手にさえ、無抵抗の善言美詞をもって相手の心に訴えかけ翻意を促す。
そのことを言向和すといっていたはずである。

そういう普段はご立派な教義を掲げていらっしゃられたはずが、いざ我が身の行いはと見てみれば問答無用、力づくで、剣向殺すがごとし。
このことの宗教的矛盾さえ理解出来ていないのだとすれば、その血筋の人間さえも事程左様に実践しえていないのだとすれば、出口なお、出口王仁三郎の言葉もまた、それだけの無意味極まりない教えでしかなかったということなのであろう。
まさに末法。
悪霊のしっぽ見せたり、狐狸妖怪。
というところであろうか?

かつて大本教出口家の祖先は大本教事件という権力からの宗教弾圧によって災難を被り、いまは逆にその子孫を名乗る人間の横暴により僕が弾圧され抹殺の憂き目に逢おうとしている。
被害者から加害者に、善から悪に。
一方の僕としては、これも一種の法難、天の試練、皮肉な因縁と受け止め、素直に受け止めてみようかとも思っている。
ちょうど出口王仁三郎や出口すみ、そして出口日出麿がそうであったように、僕もその邪な刃を無抵抗な我が身に受け止めようか?


ええ、出口光よ?
お前さんは、かつて先祖を苦しめたのと同じ真似を、今度は自分が加害者となってやろうとしているのだぞえ?おわかりか?

いや、僕は別にいいのである。大本教出口家係累「出口光」よ。
僕は霊的な正邪を明らかにするためにこそ、無抵抗でお前の邪な刃にも謹んで我が身を捧げる覚悟をしようではないか!
聖者が法難に遭うときは、時節であろうから、あえてじたばたすまい。神仏の加護なくば死ぬまでのこと。
その代わり、魔に魅入られた人間というものが、無抵抗な相手にどういう苦しみを与えようとするものか、この機会に我が身を通じてじっくり拝見してみようか?
世間の皆様にもご覧いただきつつ。


そこで問題になるのは、それを見た世間様が「ああ、出口光さんはさすがに大本教の出口の一族だけのことはある。あれこそ開祖教祖の教えの実践そのものである」と考えてくれるかどうかではないのか?
思うに、今回のあなたの暴挙は、大本教というルサンチマンを抱える宗教に澱のように積もった深い因縁を吐き出させるために、神が僕を使って招き寄せたものであるに違いあるまい。
つまりこの宗教的文脈で言えば、僕が善、君が悪だ。
僕が大本事件の王仁三郎で、君が官刑特高警察。
これはしかし、なんという皮相な眺め(型)であろうか?
これほどまでに鮮やかに善と悪が立ち分けられ、しかも悪の側がいまや大本教の出口姓を名乗っている。
これが型になるのだとすれば、今後どういう結末をあなたたち出口家の一族は迎えることであろうか?
悪魔は自らの行いで性根を隠し切れず表す。
なおかつどえらい悪魔に魅を入れられたのが、当の出口家の人間。
これ以上のあからさまな証明はない!なんせ自らの行いで示している。

ここまで諭してなおわからずば、もはや何もいうまい。
大本教よ、出口家よ、型を持って自ら滅びに至れ!





 □ 313  Re:メキキの会について 2003/08/27 03:15 返信する
From:藤倉(管理人) 
 メキキの会って、聞いたことがない団体だったので、ちょっと調べてみました。
 団体の体裁としては、株式会社メキキが主催する、ちょっとニューエイジっぽいカルチャー&セラピースクールのようなもの?という印象でした。メンバーが作っているメキキ・クリエイツ株式会社という関連会社もあって、そこでは、メンバーの職業や能力を活かして「いろいろな試み」をしてるんだとか。
 メキキの会は、大本教というけっこう大きくて有名な宗教団体と、公式にではないけど事実上のつながりがあるようです。メキキの会メンバーの中に、大本教の信者もいるようですね。というか、メキキの会の代表の出口光という人が、そもそも大本教の開祖~教主一族の血縁者だそうです。
 さらに出口光氏は、過去にワーナー・エアハードのセミナー(現在のランドマーク・エデュケーション)に関わっていたことがあって、メキキの会設立時にも、現ランドマーク関係の人が何人か関わっていたらしいと。これは、メキキの会メンバーの人に聞きました。
 というか、大本教に電話して聞いたら、話をしてくれた人がメキキのメンバーだった(ドンピシャ)。
 ランドマークは、うちの掲示板でもたまに相談や問い合わせが来る自己啓発セミナーで、話を聞いていると、ぼくはけっこう問題あるんじゃないかと感じています。
 でも、メキキが特にランドマークの影響を強く受けているという気配もいまのところは感じないし、メキキの会そのものの良し悪しや、中でどういうことをしているのかもわかりません。メキキの会の人によると、宗教的なことは何もやっていないとのこと。
 宗教団体とのつながりもあるわけですが、それだけなら、別にいいとか悪いとかってことも言えないです。たとえ中で宗教的なことをやっていたとしても、それだけで悪いとも言えないですしね。
 いまのところ、評価は保留です。
 Yさんは、メキキの会がらみで、何か困っていたり心配事があったりします? もしあるようでしたら、お話いただければ、事情に応じた調べ方もしますよ。

http://otd8.jbbs.livedoor.jp/878114/bbs_tree?base=313&range=1



・出口 光(でぐち ひかる) 京都府亀岡市出身 1955年1月14日生   
 現在、メキキの会会長、株式会社メキキ及びメキキ・クリエイツ株式会社代表取締役、多摩美術大学非常勤講師(知的財産論)。 
 
 ◆主な経歴

  京都府立亀岡高等学校卒業
1978年 慶応義塾大学文学部心理学専攻(実験心理学専攻)卒業
1984年 米国カンザス大学大学院人間発達学部博士課程修了
    応用行動分析学を専攻し、哲学博士(Ph. D. ) 

 ◆主な職歴

  元 慶應義塾大学大学院社会学研究科非常勤講師
元 明星大学人文学部専任講師(心理学)
元 放送大学出演講師(行動科学)
元 株式会社タカキュー代表取締役社長(東証一部上場)
現 株式会社メキキ代表取締役
  メキキ・クリエイツ株式会社代表取締役
  多摩美術大学非常勤講師(知的財産論) 

 ◆各種団体での役職等

  元 日本行動分析学会理事
元 日本行動分析学会学会誌編集長
元 (社)日本青少年育成協会理事
現 (財)高久国際奨学財団選考委員長
現 メキキの会会長
現 NPO日本心理カウンセリング協会理事長
現 裏千家淡交会東京第六西支部副支部長

「 私の志についてお話しすることを前提として、私の先祖のことを振り返ることには意味があると思います。
 私の曽祖父は、出口王仁三郎で、戦前に二度の大きな弾圧に遭いました。伝記を読んだり、家族や周囲の人たちからたびたび曽祖父のことを聞きながら、その捨て身の志に尊敬はしても、とてもこのような人生は歩めないと思いました。
 私の父は、気象庁に勤め富士山頂で雪の結晶を研究していましたが、研究小屋が火事になり失意の中で下山しました。結婚後、父は社会福祉事業に乗り出しました。当時は、18歳以上の重度精神遅滞者には政府の保護がなく、徒手空拳で援護施設や保育園、老人ホームなどの施設を造り、生涯を福祉に生きた人でした。ときどき父に連れられて、施設で精神遅滞の人たちと過ごしました。父の大きさを感じながらも、自分にはこのようなことはとてもできないと思いました。
 そして折に触れて、「自分はとても二人のような人生は歩めない。私は人生で何をすべきなのか。私にも天命があるのだろうか」と悩んでいたのです。
 私は小さいころから人間に興味があったので、慶応義塾大学で実験心理学の門を叩き、のちに応用行動分析学を、米国のカンザス大学大学院の人間発達学部で学びました。大学の教員を四年やりその後、株式会社タカキューという大手ファッション専門店チェーンで経営に携わり、大きなリストラを経験しました。
 悩みながらも私の人生でやるべきこと、天命が少しずつ見えてきました。
天命とは、特別な人に、特別な機会に降りてくるものではありません。全ての人にあって、しかも今日までの人生の中に秘されていて、自分の人生を貫くものである、と私は考えています。
 志とは、あなたの今までの人生を貫くものを受け入れ、今も未来もそれをやると決めることです。つまり、天命に覚悟してそれをやり続けることが志であると思います。
 そしてこれが私の志です。
『志を持った人たちがつながることで、より良い社会のための国際的な社会基盤を創る』
 この志を全うするために、私は自分の人生でやるべきことを三つのプロジェクトに分け、研究・実践をしていきます。」
「人間の究極のモティベーションとも言える、天命を研究し、誰もがそれを掴める方法を開発する。
天命は全ての人に存在するという仮説を立て、
1.その天命をどうやって見つけ出せるか。
2.どうやったら天命に志すことができるのか。
3.そして、志に生きるとはどのようなことなのか。
4.人間の心と魂の構造はどのようなパラダイムから見る必要があるのか。

これらを研究・実践することが『天命の実践研究』というプロジェクトです。」


「私は以前から、自分の先祖について興味を持っていました。
 幼少の頃、家には講談社発行の、曾祖父・出口王仁三郎に
 ついての本があり、また両親や親戚からも先祖の話を
 幾度となく聞いていました。
 しかも「出口」は面白い苗字であり、なぜそのような表現が使われたのか、
 先祖は何をしていたのか、いつか調べてみたいと
 思っていました。
 そのルーツを調べるきっかけになったのは、2001年の3月に、
 家族旅行で長崎に旅行した際、
 「出口」という名前が長崎に多いという事に気がついたことでした。
 息子の太朗が『今、自分がここにいるのは自分の両親、
 さらには先祖がいたからだよね』と呟きました。
 そう考えると自分の出口家の先祖がどのような人たちで、 
 どのようなことをしていたのかを知りたくなりました。 
 そこで息子と私は『出口家』のルーツを辿り始めました.。」
 http://hikaru888.net/kokorozashi.html





天命、魂、心、言うのはやさしい。しかしそれを自ら行えていないのなら、それは畢竟、偽善であり、つまりは悪そのものでしかない。

今回日本国が災難にあったのと時を同じくして、僕もまた法難にある。
それもまた奇しき因縁に思えてならない。此度の悪神はその眷属を使ってどういう策略をめぐらしてくるのだろう?ちょっとドキドキする。
ああ、惟神霊幸倍坐世!大八洲彦の運命や、如何?




参考:
特定電気通信役務提供者]
住所 東京都港区芝浦三丁目4番1号
社名 NTTレゾナント株式会社
担当部署 メディア事業部CS担当
連絡先 http://www.blogger.com/
発信者情報開示に係る意見照会書
この度、貴方が発信されました、次葉記載の情報の流通により権利が侵害されたと主張される方から、貴方の発信者情報の開示請求を受けました。つきましては、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(プロバイダ責任制限法)第4条第2項に基づき、弊社が開示に応じることについて、貴方のご意見を照会いたします。
ご意見がございましたら、本照会書受領日から二週間以内に、添付回答書にてご回答いただきますよう、お願いいたします。二週間以内にご回答いただけない事情がございましたら、その理由を弊社までお知らせください。開示に同意されない場合には、その理由を、回答書に具体的にお書き添えください。
なお、ご回答いただけない場合又は開示に同意されない場合でも、同法の要件を満たしている場合には、弊社は、貴方の発信者情報を、権利が侵害されたと主張される方に開示することがございますので、その旨ご承知おきください。
弊社が管理する特定電気通信設備
URL:

2011年4月8日金曜日

菅直人 その許されざる罪と罰

・菅首相側、外国人献金104万円返金 韓国籍と確認
2011年4月8日3時2分

 菅直人首相の資金管理団体が在日韓国人系金融機関の元理事から献金を受けていた問題で、菅首相側が、この元理事が韓国籍であることを確認し、献金計104万円を返していたことが分かった。首相側代理人が7日、朝日新聞の取材に回答した。

 この問題は先月、朝日新聞が報じて明らかになった。菅首相の資金管理団体「草志会」は、旧横浜商銀信用組合(現中央商銀信用組合)元理事の男性から、2006年9月に100万円、09年に計4万円の献金を受け取っていた。政治資金規正法は、日本の政治や選挙への外国の関与や影響を防ぐため、政治団体が外国人から献金を受けることを禁じている。

 代理人の弁護士が回答した文書によると、元理事側への返金は先月14日。元理事が韓国籍であることを公的な書面で確認したため、としている。また、「返却の事実は政治資金収支報告書に反映させる予定」としている。

 首相は問題発覚後の参院決算委員会で、元理事とは数年前に知り合い、釣りや会食に行く関係とし、「外国籍の方とはまったく承知していなかった」と答弁していた。

 外国人からの献金をめぐっては先月4日、前原誠司前外相の政治団体が京都市内の在日韓国人女性から献金を受けていたことが判明。その後、前原氏は辞任した。

http://www.asahi.com/national/update/0407/TKY201104070585.html





4 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:43:22.98 ID:vErManws0
433 :名無しさん@十一周年:2011/03/20(日) 21:36:01.87 ID:yJTup8F50
原発事故は民主党仕分けによる

2年前にIAEAが警告か 米公電を基に英紙報道
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031622470108-n1.htm
これにより日本政府は警告を受け、原発の安全性を高める約束をしたという。



麻生総理が原発安全対策予算を盛り込む
http://www.bb.mof.go.jp/server/2009/dlpdf/DL200911001.pdf
ページ:59/995に記載



政権交代・民主党政権へ



枝野(当時:行政刷新担当大臣)に仕分けされる
http://www.47news.jp/news/2010/10/post_20101019225402.html
http://www.cao.go.jp/sasshin/shiwake3/details/2010-10-29.html



民主党政権が今年2月に福島原発の今後10年の延長使用を承認

【東電福島原発1号機、40年超の運転認可=経産省(時事ドットコム 2011/02/07)】
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201102/2011020700679


5 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:43:59.35 ID:ZKzgDalJ0
カンが首相である限り日本の不幸は続く。

6 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:44:08.09 ID:u9Utxb3e0
震災のドサクサに紛れてなにやってんだこいつは
返せばセーフってわけじゃないだろ
こりゃ辞職するしかないわな

9 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:44:21.61 ID:PDzure4q0
3・14って バレンタインデーでのお返しですか 

原発よりもこの事で頭がいっぱいだったの

14 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:45:22.76 ID:leVvEfOc0
震災のドサクサに紛れて証拠隠滅してたのか・・・。w

15 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:45:38.01 ID:P+K99eRe0
何やってんだかこいつは

16 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:45:44.07 ID:Y9EUhI+s0
だから初動が遅れたんだな。

17 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:45:50.38 ID:B7EMY1ZuO
返せば良いってレベルじゃねーぞ

18 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:46:09.87 ID:bHBpjKOh0
ドサクサ紛れの上に震災から3日後とか

舐めてんのかこのバカは

19 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:46:20.15 ID:ShHpNP6X0
万引きがばれて商品を返しても、万引きは万引き。

20 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:46:22.52 ID:u9Utxb3e0
しかし、これで問題なしなら、万引きしても盗った商品返せば無罪ってことだよな

21 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:46:32.69 ID:tufhOlmEO
前原くんが含み笑い

23 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:46:41.63 ID:51hD0yRc0
無意味な会見と視察しかなかった

24 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:46:46.80 ID:aEqOun1K0
大事なときにそんなことやってたのか
呆れてものも言えんわ。。

25 :ナナシー ◆7Z771Znye6 :2011/04/08(金) 09:47:08.78 ID:0NllRIPLO
『どさくさ紛れ返金に忙しくて、原発対策、被災者への物資輸送対策など、何もやっていませんでした』byアホ管

26 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:47:18.70 ID:ntRixdIK0
原発で日本が大騒ぎしてる時だな

32 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:48:34.04 ID:u9Utxb3e0
簡単な話だ
前原がしたようにすればいい

34 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:48:44.48 ID:bZJhMafc0
それがこの総理のお仕事なんだろうよ
日本や国民よりもわが身大切ってことですな

35 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:48:44.92 ID:fqnxnePL0
韓チョクト死ねよ

42 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:49:51.70 ID:ksq8Kn1+0
これを口実に首相をやめるチャンスだぞ

既に日本史上最悪の総理(+犯罪者)として記録に残るだろうが

44 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:50:15.44 ID:LSlLyy2k0
地震の対応もしないでそんなことしてたのかよ!もういいからさっさと死ね!

45 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:50:36.14 ID:5uSsAvxg0
どさくさに紛れて何してんの?
大変な時期で、追及されてないだけで国民は忘れてないからね。

菅は、在日南朝鮮人から献金を受けた!

政治資金規正法違反!!

違法行為です!!!!!!!!!

46 :名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 09:50:49.84 ID:myQFewAt0
みんなが震災と津波と原発でのた打ち回っているときに…
自己保身しか考えてなかったなんて
ひどい
人間のクズだ











・菅ワガママ視察で原発危機!もうウンザリ…閣僚・官僚は仙谷詣で
2011.03.28

 菅直人首相(64)が大震災翌日、東京電力福島第1原発への視察を強行したことが、事故対応を遅らせたとの見方が強まっている。周辺住民に退避を強い、東日本の人々を放射能の恐怖に陥れ、計画停電などで日本経済を疲弊させている責任の一端が首相自身にあるなら、万死に値する。その他の震災対策でも批判が噴出している菅首相は最近、官邸内で孤立を深めている。

 東日本大震災当日の11日夜、経産省原子力安全・保安院は、第1原発の事故に関して、3時間以内の「炉心溶融」を予測した。翌12日未明には、溶融の前段である「炉心損傷」を示す、放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出したため、政府専門家の間では「即時、原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる」との方針が決まったという。

 ところが、応急措置の実現までに、なんと半日も要した。

 この原因は、「原子力に詳しい」と自画自賛する菅首相が12日早朝、原子力安全委員会の班目春樹委員長とともにヘリコプターで第1原発を視察したことだという。政府文書や複数の政府当局者らの話で判明した。

 政府原子力災害対策本部の文書によると、保安院は11日午後10時に「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定した。

 これによると、炉内への注水機能停止で50分後に「炉心露出」が起き、12日午前0時50分には炉心溶融である「燃料溶融」に至るという“最悪のシナリオ”を提示。この対策として、午前3時20分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置「ベント」を行う-としていた。この評価結果は11日午後10時半、菅首相にも説明されていた。

 その後、2号機の原子炉圧力容器内の水位が安定したが、12日午前1時前には1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。4時ごろには1号機の中央制御室で150マイクロシーベルトのガンマ線、5時ごろには原発正門付近でヨウ素も検出された。

 「チェルノブイリ原発事故」「スリーマイル島事故」を想像させる事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らがベントの必要性を確認したが、東電がベント実施を政府に通報したのは、菅首相の視察終了後の8時半で、作業着手は9時4分。空気圧縮ボンベの不調などで時間を費やし、実際に排出が行われたのは午後2時半だった。

 与党関係者は「菅首相の視察でベント実施の手続きが遅れた」と説明。政府当局者は「ベントで現場の菅首相を被曝させられない」との判断が働き、現場作業にも影響が出たとの見方を示した。

 政府に近い専門家は「時間的ロスが大きい」とし、ベントの遅れが海水注入の遅延も招いたと解説。1号機では排出開始から約1時間後、水素爆発で同機建屋の外壁が吹き飛んだ。

 事実とすれば、菅首相の政治パフォーマンスである視察が現場を混乱させ、原発事故をより深刻にさせたといえる。しかも、その後も被災者支援の遅れや復興財源の不透明さ、計画停電の不公平さなどが菅首相を直撃している。

 26日夜、菅首相は番記者を集めて急きょ、オフレコ懇談を開いた。「前日、震災発生から2週間の総理会見を開いたが、あまりにも評判が悪くて、世論対策やマスコミ対策を急いだようだ」(官邸筋)という。

 たしかに、総理会見はひどかった。今回の震災では、阪神大震災などに比べて仮設住宅建設の遅れが指摘されているが、このスケジュールについて問われた菅首相は「大畠国交相を中心に、関係方面にその仮設住宅に使うプレハブの発注などを進めてきている。早いところでは月内にもそういう作業が始まるのではないかと思うが…」と他人事のような答え。

 第1原発周辺の避難について、政府の対応が後手後手だという批判も強いが、菅首相は「原子力安全委員会が中心となってその専門家のみなさんの分析、判断をいただいたうえで、最終的に政府として退避の指示を出している。そういった専門家のみなさんの判断を尊重した対応で…」と、これまた他人任せの発言に終始した。

 震災発生直前、菅首相は外国人献金問題で窮地にあった。この逆風を吹き飛ばすためにも、政治主導で震災対策に邁進してきたが、誰の目にも能力不足は明らか。菅首相は、仙谷氏を官房副長官に起用したが、これが孤立化に拍車をかけたという。官邸筋はいう。

 「菅首相は、誰にでも怒鳴るため、心ある官僚や閣僚は面従腹背となり、距離を置き始めた。周囲は『総理の評判がいいです』などとゴマをするたいこ持ちばかり。仙谷氏が官邸に入り、すべてを仕切り始め、閣僚や官僚らは『仙谷詣で』を繰り返している。菅首相は1人の時間が増え、ヒマな政治家や、知り合いの学者に電話をしている。官邸スタッフは最近、『菅首相の表情が暗い』とヒソヒソ話をしている」

 こうした中、菅首相は27日、内閣官房参与に、原子力工学を専攻する田坂広志多摩大大学院教授を起用する方針を固めた。大震災後、首相が内閣官房参与を起用するのは6人目だが、閣僚や官僚に相手にされない寂しさを埋めるつもりなのか。

 永田町事情通は「与野党議員も官僚も現在は震災対策に必死だが、内心は『菅首相にはウンザリ』という気持ちが強い。国家的危機なのに、内閣支持率調査の中には30%以下の危険水域を脱し切れないものもある。このままでは、大震災や原発対策が一段落した時点で、『菅降ろし』が再浮上する可能性が高いのでは」と語っている。

 自業自得ということか。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110328/plt1103281619003-n1.htm



・官邸HP「ベント」開始時間を書き換え

 原発事故で、政府の原子力災害対策本部が、首相官邸ホームページ(HP)で公開する経過録で、3月12日実施の1号機の緊急措置「ベント」の開始時刻を、4時間余り早め、書き換えていたことが6日、分かった。

 ベントは炉内圧力を下げるため、放射性物質を含む蒸気を周囲に排出する非常手段。当初、「午後2時半開始」と記入されていたが、3月27日に「午前10時17分」に変更された。経産省原子力安全・保安院の担当者は「当院は当初からベント操作着手を10時17分としており、官邸に指摘し、表記が変わった」と説明。ただ官邸HPが、その時刻に「操作着手」でなく「開始」となっている点は「官邸側に提起したい」と語るにとどめた。

 保安院によると、同日午前9時すぎ、1つ目の排出弁を開け、同10時17分に2つ目の弁開放に着手。だが不具合で開けず、調整後、実際の蒸気排出確認は午後2時半だった。同HP上の保安院の別の発表では、14時40分に「蒸気の放出を開始」と表記。また枝野官房長官の会見録も、ベントは「14時ごろから」行われたとなっている。

 同機は午後3時36分に建屋が水素爆発。ベント「開始」が、その5時間前か、わずか1時間前かで、受ける印象は違う。当日は菅首相の現地視察で、ベント開始が遅れたとの批判も出ていた。また、書き換え翌日の28日には、国会審議で野党が政府の初動の遅れを追及している。保安院は「(書き換えは)審議と関係ない」としている。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110407-OHT1T00034.htm














おまけ:どさくさにまぎれての火事場泥棒をやる民主党の左翼的体質

・政府の「規制改革方針」、中国人へのビザ発給緩和を明記へ 与党内にも「拙速」の声
2011.4.8 01:12

 政府が8日に閣議決定する「規制・制度改革の基本方針」の中に中国の個人観光客に対し、有効期間内なら何度でも日本に入国できる数次査証(マルチビザ)を発給する緩和策が盛り込まれていることが7日、分かった。中国人向けのビザは昨年、発給要件を緩和したばかりで、中国人の不法就労者増加などが懸念されており、与党内からも「拙速だ」との声が上がっている。

 今回の緩和策は、購買力の高い中国人観光客のリピーターを増やすのが狙い。観光庁は平成25年までに外国人観光客を1500万人に拡大する目標を掲げており、特に経済発展を続ける中国人の観光客増加に力を入れている。

 中国人個人観光客に対する査証の発給について政府は昨年7月、富裕層だけでなく中間所得層にも拡大。発給要件を年収25万元(約310万円)以上から年収6万元(約70万円)以上のクレジットカードのゴールドカード所有者とした。

 ただ、発給されるのは期限内に一度だけ入国できる一次査証(シングルビザ)のため、さらなる緩和策について政府の行政刷新会議(議長・菅直人首相)の分科会で議論してきた。

 個人観光客は、日本での身元保証人の申し出が不要なうえ、団体旅行客と違い日本国内で自由に行動できるため、ビザの有効期限が切れても不法滞在したり、不法就労したりする中国人が後を絶たず問題となっている。

 緩和について、国民新党幹部は民主党幹部に「功罪を検証してからだ」と要請したが、8日の閣議決定方針は変わらなかったという。国民新党幹部は「東日本大震災で、規制緩和の大部分は軒並み先送りになったのに、問題のあるビザ緩和だけが残るのは不自然だ。震災のドサクサに紛れて押し通そうという思惑が透けている」と不信感を募らせている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110408/stt11040801130000-n1.htm






もはや菅直人および民主党には政権を担当する資格はなくなった。その道義的正当性のみならず、法的正当性さえも彼ら売国無能政治結社集団である民主党には認めることができない!

菅直人の無能と売国性は、民主党が生まれ持った体質そのものの一端であるにすぎない。

いずれにせよ、こういう連中に「一度やらせてみよう!」と安易に政権を与えてしまった国民のも重い非があることを認めざるをえない。

これを教訓として二度と、こういう国益に背く集団に権力を与えるような愚かな真似をするべきではあるまい。

人間地震センサー「みゆ吉」リアルタイム予知に成功!

2011-04-07 23:38:52

miyukichikunの投稿
テーマ:警戒して下さい! 体感なのかもしれない。


怖いから書かないで下さいとメールしている方は…読まない方がいいかもしれないと思いアメンバ限定で報告…と言うよりは『告白』です。

コメントを閉じてしまったので知らないでいる方が大多数だと思いますが…震災後のまだ記事のUPが出来なかった頃に、衛星電話で話した姉を通して『東日本大震災では終わっていない』と話していました。
それが近々動きそうです。

覚悟して読んでほしい。

『北側半分の震源が残ったまま』のように感じます。

今、体感がものすごく嫌な感じになっています。
家族バラバラの状態がそれに拍車をかけているのかもしれませんが、動悸がひどいです。


同時に、また小笠原辺りの音も強くはないけれど鮮明に聞き取れています。


姉には連絡が取れたあの日の電話で話していましたが、青森東方沖~岩手沖がメインかと思われる震源は残っていると考えていました。

今、急激に加速して、小笠原諸島周辺と茨城沖周辺と…上記の青森東方沖~岩手沖…。

まだ宮城沖も福島沖も落ち着いていない…。

この記事をUPすべきか悩みます。
どうか勘違いでありますように…。
疲れのせいでありますように…。
過酷な状況が生んだ不調のせいでありますように…。


青森東方沖~岩手沖はまだ溜めそうな気もする。
まだ時期でない気もする。


ジョーズが登場する時の雰囲気なのです。
嫌なの解るでしょう?(泣)



ジナ~ンサンは病院に泊めて頂いて点滴を続けて頂いています。
私も世話をしながら抗生物質を点滴出来ました。


東日本の広範囲に警報です。

ものすごく悩みます(泣)
全員に公開するべきたと、私の中の正義は語るのです。

もう一度、気を引き締めて下さい。


点滴のポンプがスゴい微震動を発生していますので、微震動は省いた感知の報告です。


寝不足不調で、狼少年の可能性もありますが、どうか備えて下さい。m(__)m


疲れすぎています。

大きな揺れが起こったらのシュミレーションを繰り返してみます。

ここでまもるべきな




間に合わなかった(泣)




ブログ「みゆ吉  地震予知になってるかな~?」

http://ameblo.jp/miyukichikun/



・平成23年04月07日23時37分 気象庁発表
07日23時32分頃地震がありました。

震源地は宮城県沖 ( 北緯38.2度、東経142.0度、牡鹿半島の東40km付近)で
震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は7.4と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。

宮城県  震度6強 栗原市築館* 栗原市若柳* 仙台宮城野区苦竹*
     震度6弱 涌谷町新町 栗原市栗駒 登米市中田町
          登米市東和町* 登米市米山町* 登米市南方町*
          登米市迫町* 大崎市古川三日町 大崎市古川北町*
          大崎市鹿島台* 名取市増田* 岩沼市桜*
          蔵王町円田* 宮城川崎町前川* 仙台青葉区大倉
          仙台宮城野区五輪 仙台若林区遠見塚*
          塩竈市旭町* 東松島市矢本* 松島町高城
          利府町利府* 大衡村大衡*
     震度5強 気仙沼市赤岩 気仙沼市本吉町*
          宮城加美町中新田* 色麻町四竈* 登米市石越町*
          南三陸町志津川 大河原町新南* 柴田町船岡
          亘理町下小路* 山元町浅生原* 仙台青葉区作並*
          仙台青葉区雨宮* 仙台青葉区落合*
          七ヶ浜町東宮浜* 大和町吉岡* 富谷町富谷*

http://www.jma.go.jp/jp/quake/








まさに人体の驚異。今回この「みゆ吉」という被災地在住の女性はリアルタイムで起きる直前に地震予知できている。

おそらく彼女は地震の微振動あるいは電磁波変化を動物並みの感度で感知し、それが地震のものかどうかの分析処理判断ができる神経回路をもっている、まさに優れた人間地震センサーのようなものであると思われる。

つまり地震予知のためのハード(センサー)とソフト(解析処理アルゴリズム)を両方もっているのだ。

(彼女の場合は断じて神霊のお告げとかではないのである!これはオカルトではない!あくまで並外れて優れた五感の働きなのだ。

こういうビックリ人間=SPECホルダーの存在はめったに確認されないものだが、世の中にいることは分かっていた。今回その実物サンプルが確認できたことは今後の研究にとって大きな僥倖といえる。政府により早急な保護が必要と思われる。)

ここしばらく彼女を観察していたが、今回リアルタイムでの予知を見て、こういう人間がいることを改めて確信できた。

実に素晴らしい!彼女は現時点までほぼ確実に地震を事前検知することに成功している。

地震予知連絡会よりずっと役に立っている。その機械センサーとスーパーコンピューター解析処理を超える精度たるやまさに手放しで褒めるしかない!

事態が収束に向かえば、彼女は一躍時の人になることであろうし、貴重な研究サンプルになる。


政府当局も含め、彼女には今後も要注目であろう。いずれにせよ、人体の驚異、ここに極まれりだ。

太陽戦隊 再び!

・東日本大震災を予知した預言者達! 日本に危機再び……!?
2011年4月7日(木)14時45分配信

 東日本大震災を予知した預言者の情報が、続々と上がってきている。

 まずは日本の霊能者・松原照子女史。『幸福の近道』というブログに、1月6日と2月16日に今回の震災を危惧した内容の文章が書かれてある。それによると、日本に55ある原子炉やチェルノブイリの事故のことにも触れ、原発事故を危惧し、強く関心を呼ぶように書かれてある。
 震災が起こるであろう日付は特定されてないものの、松原女史は、太平洋側に動く気配を感じ取り、広範囲に揺れると指摘。さらに「陸前高田」という地名までも限定して書いている。
 彼女の場合は予言ではなく「世見」と言い、見えない世界の存在から未来を教えられ、自身も感じ取っているとのこと。ただいま『幸福の近道』はアクセスが集中し、繋がりにくい状態が続いている。

 アメリカの予言者・Joseph Tittel 氏。マイケル・ジャクソンの死を予言したとして有名。今年の1月1日のラジオで原発事故と津波を予言していた。
 それによれば、原発で爆発が起こり放射性物質等が漏れる大事故になる。最初は健康に被害がないと発表されるが、それが後に間違いであると発覚し、多くの人々が病院に運ばれる事態になるという。
 さらに津波が日本、中国、チリを襲う可能性があるとも指摘している。3月15日にアップされた彼のコメントによると、日本はこれからもっと最悪な事態に陥るという。日本の国土の半分は住むことが出来なくなり、ある地域は海に沈み、そしてまた大きな地震と津波によって被害がもたらされるという。

 そして現在、注目されはじめているのが小林朝夫氏。彼は子供のころから不思議な能力があり、今から6年前に地震で東京が壊滅する夢を見た。その後、都会を離れ地震研究をしている。
 小林氏のブログには、なんと震災前日の3月10日に、M8前後の非常に大きな地震が来ると警告。三陸沖で地震が続いていることから、ほぼ間違いなく関東から東海にかけて大地震が来るであろうと予見していたのだ。
 ブログ『大地震前兆・緊急アラート』によれば、4月7日前後が危険で、4月6日~10日の間に何が起きても不思議ではないという。その間に、原発に再び大事故が起きて爆発する可能性がある。それが福島第一原発に問題が起こるのか、大地震によるものなのかはわからない。しかし、3月11日で今回の事態は終わりではないので、防災の準備をしっかり整えて心構えをして欲しいとのことである。

 予知・予言には賛否両論あるが、あくまでも貴重な情報のひとつとして捉え、慎重に様子を見るべきだろう。

(呪淋陀(じゅりんだ) 山口敏太郎事務所)

http://news.nifty.com/cs/item/detail/rl-20110407-6603/1.htm



参考:

・Joseph TittelのHP(ニューエイジ臭すぎる上に、勝手に音が出るうるさく馬鹿っぽい商業サイト。)
http://spiritmanjoseph.blogspot.com/

・小林朝夫のサンバルカンな夜
http://www.voiceblog.jp/asao/






まさかあの人物の名前をこんなところで目にする事になろうとは?ちょっと驚愕した。

何があった、バルパンサー?





・小林 朝夫(こばやし あさお(本名同じ)、1961年2月16日 - )
東京都出身の元俳優、学習塾講師。明治大学文学部卒業。

実父は、作詞家・作曲家・俳優・タレントの小林亜星。明治大学入学後は劇団ひまわりへ入団し、岸田森に師事し、また塾講師としても活動。1979年に映画デビュー。1981年2月からは『太陽戦隊サンバルカン』に豹朝夫(バルパンサー)役で出演。同作品の第38話『豹朝夫のおやじ殿』では、父・亜星との親子共演が実現している。

しかし1982年12月、同作品にも共演していた岸田森が急逝。これに強いショックを受け、俳優業を休業する。

以降は塾講師として活動。「国語の神様」として受験生に大いに評判を得、教育関連の著作や講演活動などで活躍している。





・『太陽戦隊サンバルカン』(たいようせんたいサンバルカン)
1981年(昭和56年)2月7日から1982年(昭和57年)1月30日までANN系列で毎週土曜日18:00 - 18:30に全50話が放送された、東映製作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。「スーパー戦隊シリーズ」第5作にあたる。

『バトルフィーバーJ』以来続いたマーベル・コミック・グループ提携による最後の作品でもある。

地球征服を企んだベーダー一族はバンリキ魔王の反乱と電子戦隊デンジマンの活躍により倒され、平和な世の中が戻ってきた。
…だが、その平和は長く続かなかった。北極に本拠を置く機械帝国ブラックマグマが世界征服を目指して動き始め、火山国である日本の地熱を狙って日本への侵略活動を開始した。

これに対抗して、国連サミットは直属組織・地球平和守備隊の選抜による特殊部隊の結成を満場一致で決議した。
嵐山大三郎(岸田森)が率いる彼らこそが「太陽戦隊サンバルカン」である。サンバルカンは華麗な陸・海・空の動物的アクションと巨大メカ・サンバルカンロボなどを駆使してブラックマグマとの戦いを展開する。

『秘密戦隊ゴレンジャー』から連綿と受け継がれたコミカルな痛快活劇を中心としつつも、宇宙からの侵略者と手を組んだ悪の機械人間軍団に人間の英知と勇気、そして正義と友情、愛の心で立ち向かう主人公達の地球人類の未来を賭けた戦いをハードかつドラマチックに描いていた。

最大の特徴は戦隊チームが男性3人のみであること。
これに対して放映時から女児をはじめとした視聴者から女性メンバーの復活を求める意見や苦情が多数寄せられた。
そのため翌年の『大戦隊ゴーグルファイブ』では女性メンバーが復活した5人となり、これ以降女性メンバーのいない作品は製作されていない。

また、リーダーであるバルイーグルが途中でNASAに「パイロットとしての技量を見込まれ、転任」するという設定で交代したが、戦隊シリーズで中心的な役割を持たされているレッド役が途中で交代したのもこの作品が唯一である。

サンバルカンロボは戦隊シリーズ初の複数のメカが合体して完成するロボットであり、バルイーグルは戦隊シリーズ初の「刀を持った(剣をメイン武器にした)主人公(レッド)」である。

嵐山長官は岸田森が演じている。シリアスとコメディーの両面を見せ、最終回においてはサンバルカンではなく彼が敵の親玉を倒してしまうなど、随所で存在感ある演技を展開している。
舞台裏では若い主演陣を守り立てる役割を担い、とくにバルパンサー役の小林朝夫にとっては父親的存在でもあったという。
岸田は放送終了から僅か11ヶ月後の1982年12月に食道癌のため急逝し、本作は彼がレギュラー出演した最後の映像作品となってしまった。


                         (ウィキペディア)




・スーパー戦隊シリーズ第05作「太陽戦隊サンバルカン」
http://www.youtube.com/watch?v=JDDZPZjcYPg

・小林朝夫ツイッター
http://twitter.com/#!/kobayashiasao







まさか、まさか、まさか!である。

子供の時、見ておりましたとも。「サンバルカン」。

毎回5人チームだった戦隊シリーズでは初の三人組だったはずだと記憶するが、調べたらやっぱりそうだった。

いやあ、岸田森、大好きな俳優だったのだ。あの知性と狂気の入り交じった風貌は、ちょっと他の俳優にはない味わい深さがあった。

その岸田森をこよなく崇敬していたパンサーが小林亜星の息子で、俳優引退後に国語の教師やっているというのは聞いていたが、よもや地震の預言やっていたとは思わなかった。

そうかぁ?バルパンサー、いま地球平和守備隊は地球変動への備えをやって平和を守っていたのですね。

今回の敵は特定アジアと結託した金権腐敗の神小沢一郎(ブラックマモン神)や鳩山由紀夫(ヘルスハトポッポー総統)、原口一博(屁ドリアン腹話術人形)細野豪志(人妻モナ夫ー)らの率いる民主党金権帝国一新会ブラックマモン。
奴らは火山国である日本の主権と原子力発電所の平和と政党助成金利権の着服を狙って、まずは東電福島第一原発への侵略テロ活動を開始した、、、と。

うん、うん。こりゃ我らがサンバカ菅に登場してもらわないと。バカ枝野(豚)、バカ仙谷(ロバ)、バカ蓮舫(猿)!

ふふふふふ、、、、、われながら実にくだらん。  

とりあえず民主党Aと民主党B、どっちも頑張って殺しあい、そのまま跡形もなく対消滅しろ!


というわけで、なんか懐かしいので、特にこれ以上突っ込むこともないや。

今回はあえて馬鹿ともインチキとも批判いたしません。見なかったことにして放置します。小林朝夫なんて見てません。

でもバルパンサー、どうかあんまり寝起きの夢で見た風評で世間の不安を掻き立てないようにね。

あと予知能力というよりツイッターの写真、目付きに統合失調が少し出ています。思い出すのも辛いことがここしばらく私生活でいろいろありましたか?

どうかご自愛ください。

汝らの祈りこそ この世をば黄泉に沈めん

・池上彰 完全無欠の「定義づけ」に振り回されず自由発想を
2011.04.06

 東日本大震災においてニュースのわかりやすさ、速報性が重要であることを痛感しました。そんな中で、ミスターニュースこと池上彰氏の番組は「分かりやすく、ポジティブ」な内容でした。連日の被災者、被災地のTV映像で落ち込み、不安を抱えていた国民に大きな安心感を与えてくれましたね。さぁそんな池上氏の前世を見てみましょう。

 池上氏は1950年8月9日生まれ、ドラゴンズヘッドは「魚座」。前世の多くを科学者、医療関係、教師として過ごしてきました。特に科学や医療では研究職に打ち込み、多くの実績も残しています。ですからあらゆるものを、細部にわたって吟味、分類することにたけています。

 このような過去世を持つ池上氏ですから、ニュースの伝え方が分かりやすく、聞いている私たちも理解しやすいのですね。興味のある範囲ならどの分野でも精通している方なのでジャーナリストとして一流で、教える側に立っても教師としての過去世も長いのでたけているのです。ニュースを見ていて「学校の授業」を受けている気分になるのはそのためなのですね。

 そんな完全無欠なイメージの池上氏ですが、その完全さに欠点もあります。とにかく何にでも「解析、分類」をしてしまいがちです。そして分類されたものを「定義づけ」しなければいられないので、ついつい「自分が定義したもの」に振り回され、行動範囲を狭めてしまうこともあります。完全であるが故に起きる欠点ですが、今後の活動の中でもっと自由な発想で研究を進めてくださると、新しい視点も生まれますよ。

 ■はる 沖縄の伝統的なユタの家に生まれ、その特異な能力を使い16年間で延べ16万人のカウンセリングを行った沖縄では伝説のユタ。現在は拠点を神奈川県に移し、一般鑑定を中心に、霊視、オーラ、手相、人相、タロットなどによる鑑定で信頼が厚い。「はるのオールナイトニッポンR」(ニッポン放送)出演。はる監修の占い携帯サイト「古代琉球癒歌はるのヒーリングギフト」(yuta.tv)もスタート。

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110406/enn1104061552014-n1.htm







別にこの人の商売のジャマをするつもりもないのだが、なんだかなぁ?という気がする。

前世、ユタ、特異な能力、オーラ。

でもそういう物が、この誰でも言えそうなとってつけたただの人物評のどこから読み取れるのかというと、甚だ疑問なわけである。

ユタというよりむしろ与太。特異な能力というより無能力。言葉の軽さに人格の薄さが透けて見える。

その程度の才覚で商売しようと想うたくましさだけはさすが日本で一番貧しい都道府県出身者と思わないでもない。
きっとお金の事で人に言えないような苦労して、だから何してでもお金と名誉が欲しかった、目立ちたかった、それだけ惨めな人生だった。やたら伝統の血統とか自己紹介コピーに使うのはそのコンプレックスの裏返し、そんなところか?

(沖縄では、ユタは食い詰めた未亡人がやる徒弟制度の商売の趣もある。徒弟制度なのに伝統的な家柄とか、一体どういう伝統なのか、あんまり想像もしたくないがやはり代々DQN母子家庭で、母ちゃんがヒステリー患っていたのであろうか?小娘の浅知恵とは言え、実に哀れだ。)


想うのだが、宗教とか占いとかオカルトに強くのめり込む人と言うのは、基本不孝な人生の人しかいない。

まあこれもよくよく考えればあたり前のことだが、私生活が充足していれば、神仏になど真剣に向き合う必要性などそうそうは感じ無いはずだし、それを日常生活まで捨て棺桶に片足突っ込む勢いで宗教にのめりこんで入れあげるというのは、おおよそ尋常な精神状態ではない。

しかして、そういう人間に限って自身の置かれた境遇や自己の精神状態を冷静に省みることもなく、目に見えぬ神仏や生き神を称した馬鹿の御託にすがり、ひたすらな他力本願の問題解決を求める。

そのとんちんかんぶりは、まさに木に登りて魚を求めるというやつである。まあ樹違いだから仕方ない。

かくして信仰深まるほどにますます本来の問題解決から遠のき、幸福を得るつもりで却って土壷に向かって一直線に突き進む。

その背中を金のために後押しする、霊能者や占い師、サイキックマフィア、新興宗教教祖ども。

奴らは困窮して救いをもとめている人間の生き血まで平然とすすって、相手に何の見返りも与えることなく自分さえよければと生きながらえる真の悪霊。神仏の名を騙る真の悪鬼悪魔。

救いがたいこの世の地獄はまさにこういう連中こそが率先して作り上げている。

だから救いを求め彷徨するしか無い哀れなバカどもには、「神仏がそれほど恋しいならいっそ死んで会いに行け!この世でしあわせになりたいのであればこの世でしっかり生き抜いて幸せになるべき方法を考えなさい。」と教えるべきなのであろう。

だいたいがそいつらの宗教の基本設定にしたところで基本、あっちの世界は神霊の領域、こっちは人間様の領分なのである。

そうそう神霊がこっちに出張ってくるものならば、世の中そこいら中に死から生き返った奴とか祈っただけで死病の床から蘇ったようなのが、もっと当たり前にごろごろしているはずであろう。

(そんなのが街中にいっぱいうろついていたら気色悪いじゃないか!おちおち散歩もできない。)

さて、かつて釈尊は死んだわが子を蘇らせてくれと泣き縋ってきた母に向かって「この村の中から一度も死人を出したことのない家に行き、そこの米(本来の設定ではけしの実)をもらってきなさい!そうすれば生き返らせてあげよう」というような意味合いのことを言っている。

無論どの家でもその久しい家系の中でかつて一度と言わず死者を出し野辺の送りをしたことがある。

そこでようやくその理性なく振り乱した母は、この世の冷徹な理の存在に気づくのである。

すなわち愛するものを失ったことのない人間は誰もいない。誰も死の定めを奇跡で逃れる特権は持ち得ない。なにより生じた者は、生じたがゆえに必ず滅するしかない。

もし生じてなお滅せぬのであれば、この世がすなわち二度と死ぬことのない者たちの国=黄泉となりかえるしかない。

この世でもし一人蘇らすことが許されるなら、どうして全ての死人を蘇らせてはならぬ道理があろう?

しかしもしここに永遠に死の悲しみが訪れないのだとすれば、それは新生の悦びもまた二度とこの世界に訪れることがないということしか意味しないのである。

すなわち永遠の生命を求めるというは、自分が愛するこの世界そのものを新生の有り得ない、永遠の死者の国にすることを意味する。

これこそが自分さえよければ自分の想いさえ叶うなら他はどうなっても良いと考える、その卑しい想い、無知なる祈りの招く必然的結末なのである。

故に釈尊はこの世に生まれやがて滅することを約束された者たちに向かって、そのような道理に沿わぬ理不尽な欲望をこそ吹き消すことを固く戒め教えたのである。


それから二千有余年。

いまだに迷妄深く、惑いの眠りより抜け出しえぬ幼い心の住人ばかりのあるこの世界では、神の言葉を騙る取るに足らぬキチガイや詐欺師ごときの言葉に踊らされ、生まれ持った理性をさえ曇らされ、自分のみの幸福、自分のみの幸福を、神仏に必死に請い願い、もってその代償としてこの世界すべてを黄泉の国に仕変えよ!という、無知ゆえの邪悪な祈りが繰り返されている。

我こそを真っ先に救い給えと祈るその祈りこそが、この世界を汚し貶める真の原因であることに誰一人想い至るだけの知恵さえ微塵もない。

どころか神仏の奇跡や福音とやらを喧伝する、その実この世を死者の国にせんと企む悪霊の手先の如き奴らばかりと来ている。

人がこの世に生まれた以上死ぬことは仕方ないことなのだ。死の別れが辛いならまた梅、もといもっと産め。その先には新生の悦びも松、もとい待っていることであろう。

これこそかつて黄泉比良坂での伊弉諾伊邪那美の間で交わされた誓約の真の意味というものである。












参考


「それは祇園精舎があったことでも有名な古代インドの都市、舎衛国(しゃえいこく、シュラーヴァスティー)での話です。

 あるとき、幼い男の子を亡くしたばかりのキサー・ゴータミーという名の女性が、遺体を抱えたまま、「子供に薬を下さい、薬を下さい」 と、狂乱したように町中を歩き回っておりました。ゴータミーは、たまたま舎衛国に来ておられた尊者の噂を聞きつけたのでしょうか、釈尊のもとに行き、同じように薬を求めました。さて、釈尊はどのように応対されたと思いますか。
 釈尊はこんな風に答えられたといいます。
 「よろしい、ケシの粒を持ってきなさい。ただしいまだかつて死人を出したことのない家からね」。
 これを聞いたゴータミーは釈尊がケシの粒から子供を生き返らせる薬を作ってくれると思ったのでしょうか、あちこち探し回ったけれども、ついにこれを得ることが出来ず、しかし人生の無常ということを知り、出家して後にさとりを得たのでした。

 今の日本でいえば死者を出したことのない新しい家に実の生る木が植わっていることもあり得るかもしれませんが、昔のインド社会では家に実の生るケシの木が植わっているような家は比較的裕福で数世代の歴史を持っていたのでしょう。それはともかく、ゴータミーは釈尊の指示に従って家々を回りつつ、あちこちで「うちも去年親を亡くしたんですよ」とか、「私もついこの間子供を亡くしたばかりで、お気持ちはよくわかります」などという話を聞いたに違いありません。こういった話を聞きながらゴータミーは次第に心の平静さを取り戻し、自分の命と思っていた子供の死を受け入れていったことでしょう。ゴータミーにとってケシ粒さがしは、自分探しでもあったはずです。子供の死はもうとりかえしのつかないことだ、しかし子を亡くしてもなお生きている私はここにいる、と。こうして釈尊のことばの本意を知ったゴータミーはあらためて釈尊のもとに行き、そこで釈尊は初めて法を説かれたのでしょう。ゴータミーは最愛の子供を亡くしたことを縁に、仏法に出会い、よろこびを持って自分の人生を生き直すことができたのです。」

http://mujintou.lib.net/houwa1.htm

馬喰、時化の外洋に漕ぎ出す

・「贅沢三昧で中国歴代王朝衰退」 温首相が腐敗に危機感
2011年4月6日18時42分

中国共産党機関紙、人民日報などは6日、3月下旬の腐敗撲滅に向けた幹部会議での温家宝(ウェン・チアパオ)首相の演説内容を明らかにした。

首相は「中国の歴代封建王朝の衰退はその贅沢三昧(ぜいたくざんまい)によるものだ」と、幹部腐敗への強い危機感を表明。
「我々のお金はすべて人民の汗水だ。無駄遣いは決して許さない」と訴えた。

首相はまた、昨年1年間に規律違反で処分された党員が14万人に上るとしながら、「人民の期待とはまだ大きな差がある」とした。

中東での政権崩壊を招いた民主化の動きが、幹部腐敗への不満などで生じたとの分析も意識した発言とみられる。
(北京=古谷浩一)
http://www.asahi.com/international/update/0406/TKY201104060365.html





問題が大き過ぎるなら分割する。こちらの能力が小さ過ぎるなら結集する。

問題解決の要諦は、つまりこここに尽きる。要は物事を効率よく運営するにはそれに適した規模と人員の組み合わせが大切ということだとも言える。

中国の場合、統治するには大き過ぎる人口と国土の問題なので分割し統治するしかない。

日本の場合、個々の政治家の能力があまりに小さすぎるので結集するしかない。



日本はもともと狭い国土に高い人口密度だったので中央集権的な統治機構がもっとも効率が良いのだが、東京への一極集中で、人口密度(濃度)の分布差が大きく偏りすぎてしまった。このため経済効率の高い東京都とそうでない地方というアンバランスが生じている。

だからこれを正さなくてはいけないのだが、ここで大切なのは、根本的に問題なのは統治機構の権限所在なのではなく、人口の偏頗のほうであるという点なのである。
なんとなれば、民主主義国家における統治機構組織が持つ政治的権力とはその担当する人口の多寡に比例するものでしかないからだ。

住んでいる人間が多くなれば経済規模も大きくなり税収は増えるので自治体の権限もそれに合わせて大きくなる。

それを地方自治体に権限委譲すれば経済が活性化し人口が増えるというのは、まるっきり思考論理が逆さまなのである。

そうではなく、経済活性化のためには上から見下ろして全国土均一で最も効率のよい人口分布を達成する必要があり、そのために道州制の如き自分たちの地域のみしか視野に入らない低い視座の統治システムではなく、さらに強力な高い視座をもつ中央集権的な統治システムにより、もっと的確な全国土同時の公正な発展計画を策定実行することこそが望ましいのである。

さもないと短期的に地域の実情(あくまで現在のである。他の地域との関係で将来その実情の中身がどういう変化をするかは予測出来ていない)に合わせた効率のよい国家予算運用をしているつもりで、結果、道州の境界を超えて同じ分野への不要な二重投資がなされたり、災害時の協調的対処さえ不可能になる。

少なくとも日本のようなこじんまりした規模の国家においては、道州制は地域エゴを強め、指導力を発揮するべき政治力を弱め、確実な国土と国力の衰退荒廃を招くだけなのである。

道州制や地方自治体への権限委譲に基づく中央集権制の弱体化が、万が一の国家危機においていかに致命的な結果を生むか。

国民は今回のことからその教訓を得ておくべきである。

(まあ最も、中途半端に弱い中央集権制と、政権担当能力皆無の無能な統治者の組み合わせが、道州制より悪い結果を生んでいるという現実も今回あったわけである。

中央集権的統治機構の長所を何一つ生かしきれていないくせに政治主導とか言っている民主党の薄ら馬鹿さって本当にすごいなあと想う。

いくら民意だといっても、村の馬喰に外洋船の船長やらしちゃいかんよなぁ?時化の海なのに。最初から無茶だったのである。)

東京東北運命共同体論

・これが言いたい:関東は東北と運命共同体の覚悟がいる=貝原俊民
 ◇「臨時救災消費税」で復興を--前兵庫県知事・貝原俊民

 東日本のこの度の大災害は地震・津波・原子力の複合災害で、その対策は阪神・淡路大震災のそれより数倍も困難だと思われる。原子力災害はまだ進行中で、その終息がなければ、復興を本格的にできない状況である。

 しかし、そろそろ復興の枠組みづくりが始まろうとしているいま、阪神・淡路大震災からの復興で実現できなかったことのうち、急いで検討すべきことを、取り急ぎ国民の皆さんに訴えたい。

 その一つは「復興村」をつくることだ。厳しい避難所生活は病弱者や高齢者には耐えられるものではない。したがって、一日も早く仮設住宅を提供すべきである。

 しかし、今回の災害では集落単位で崩壊しているので、住宅だけでなく役所の支所、診療所、スーパーなどワンセットで復興村をつくらなければならないのではないか。

 この場合、建築基準法の規制を緩和した20年住宅といったものを低コストで早期に建設し、被災者に安い費用で提供することが考えられる。

 仮設住宅(原則として2年)でも1戸約300万円はかかるので、病弱者や高齢者用の緊急仮設住宅は別として、少し時間をかけても「復興村」を建設する方が被災者の生活復興につながる。

 その二つは「臨時救災消費税」の創設である。大人から子どもまで1日1食10円を節約すれば1人当たり年間約1万円。1億2800万人が実行すれば1兆円を超える。資力のある人に少し多くすれば数兆円になる。3年程度の「臨時救災消費税」として広く薄く負担する。子ども手当、高速道路料金低減などの財源も活用すれば、借金はそんなに多くいらない。

 節約は経済を停滞させるとの意見もあろう。だが、これらの資金を復興事業にあてれば被災地での需要が拡大する。このうち、緊急のものを除き「救災復興事業」として10年ぐらいかけて施行することによって、被災地の産業復興と雇用につなげたい。

    *

 その三つは、わが国の安全のため複数の「自治体広域機構」をつくることである。

 集中と巨大化により集積効果を上げる東京を頂点とする中枢とそれに依存する地方という国土構造を、これまで官も民も是としてきたと思う。今回、東京圏が電気や食材など東北の住民の忍耐と寛容によって支えられていることが浮き彫りになった。東北と関東は運命共同体である。

 だから震災復興は東北・関東の自治体が「広域復興機構」を組織し、これまで東北の恩恵を受けて東京圏が蓄積した豊かさを還元する方向で一体的に進める必要がある。

 その他の自治体も傍観者ではありえない。東海・東南海・南海大地震が発生した場合は、中部・関西・四国が運命共同体となる。今は西日本の自治体の「広域支援機構」が阪神・淡路大震災で蓄積した知恵を役立て、復興を支援しなければならない。復興はふるさとを思う被災者の熱い思いが基本であり、自治体主体でなければならない。政府は二つの「自治体広域機構」と連携して国民あげての復興体制をつくるべきである。

 巨大災害があっても、3000キロにも及ぶ細長い日本列島が、同時に毀(こわ)れることはない。列島のどこかが大きな被害を受けたとき、他がそれを補完して国家機能を維持する考え方で国土構造を再構築しなければならない。

 このことは、東京一極集中を是正する国家像構築を先導することになろう。


 ■人物略歴

 ◇かいはら・としたみ
 95年、阪神大震災発生時の兵庫県知事。06年からひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。

http://mainichi.jp/select/opinion/iitai/news/20110407ddm004070011000c.html




自治体と中央の統治システムの齟齬の実際を体験した人物の被災地再建案として、いろいろ傾聴すべき提言であったと思うので引用させてもらった。

(もっとも広範囲な国土損壊が生じた場合、地方自治の独立とか道州制という統治システムには致命的な欠陥があることが意識されてくるであろう。
異なる道州にまたがる被害、巨額の資金を要する復興予算、国家の総力戦とも言うべき局面で分断され地域独立性の強い統治システムでは対応できない!
緊急時には国家の総力と意志を結集一元化できる中央集権制こそがもっとも効率的かつ合目的的なのである。

そのことは今だからこそあえて指摘しておきたい。なんでも中央集権が悪い、官僚が悪いと言ってさえいれば済むのであれば苦労はないのだ。
大きな予算であればあるほどは地域性に偏らない大局的な国家観を持ちうる統治組織でなければ、効率的で公正な運用は基本できない。
なおかつ今現在それが出来ていなかったのだとすれば、おそらくはそれは統治構造そのもの問題ではなく社会や組織における精神性の緩みという問題の方が大きいのである。
具体的には権限と責任の一体化ができておらず、権限があるのに責任の所在がないとかというチグハグな運用面での問題があったに過ぎないのだ。

しかしみんなの党のアジェンダ馬鹿とか、大前研一とか堺屋太一とかはそこまで想定できるだけの強い知性を持ち合わせていない。だからすべての原因を中央集権制という統治構造の問題に安易に帰結させてしまうのである。

しかして繰り返すが、細分化された統治機構は、大規模な災害時に対応しきれない。それはいざ事が起きたとき、致命的な失敗を引き起こす要因としかならない。)



広範囲におよぶ国土の破壊は、同じ範囲における壮大なる都市計画の実現を可能にする。
既に古くなり耐用年数の過ぎつつあったインフラを新しく安全性と効率のよいそれに置き換え、土地の付加価値と利用効率を上げ、それによって高度成長期の土地本位制のごとき経済循環を取り戻す。

かつて関東大震災のおり、あるいは太平洋戦争末期における東京大空襲や原爆投下など全土の焦土化の後、政財学民の叡智を結集し、疲弊しきった地に災害以前以上の繁栄をとりもどせたが如く、私たちは火に自らを投じ再び新しい生命を得るというフェニックスのように立ち上がっていくことができる。

屍の上にこそより美しい大輪の華が咲くというのは、その意味するところの道徳性とはかかわりなく事実なのだ。

ならば生きている者たちのその生きている証は、死んでいった者たちのその骸の上にその大切な生命の代償となるだけの大いなる価値ある繁栄を築いていくことしかないのだ。

ゆめゆめ、貴い犠牲の上につまらないものを創り上げてはならない。立派で意味ある再建を果たしてこそ、私たち生きているものの死者への責務も果たし得ると言いうものではないか?


最後になるが、東京都と東北が表裏一体の強い運命共同体であるということは十分認識しておくべきだ。
しかし残念ながら真の意味でそのことを理解できている国家観を持った都知事候補者が、ただ齢八十いくつもの老人である石原慎太郎、ただ一人しかおらないというのは、実に情けない眺めである。

平時なら、パフォーマンスの上手いだけの馬鹿でも出来る仕事だが、危急時に於いては、そういう馬鹿に任せると生命にかかわる。

淫行禿(そういえばインコみたいな顔してるな)とブラック企業の守銭奴社長(目付きが悪人のそれだ)、こんなもん選挙以前に人格的な意味で論外であろう。

今回都民は軽い雰囲気で自分たちのことだけを考えて決めるのではなく、自分たちや運命共同体である被災地の方々の行く末まで真剣に考え、真に自分たちの命を任せられる顔つきをした漢をこそ選ぶべきだろうと想う。

まあお好きなようにすれば良い。民主党に政権与えた時だってやはり馬鹿は馬鹿だった。おかげできっちりツケを支払わされるはめになっている。淫行やブラックにすれば、それはそれでまたとんでもない悲喜劇になることであろうよ。それで東京が終わるとしたら、それもまた民意のなせる業といえよう。

古人いわく「民の声は天の声」 僕いわく「馬鹿の群れは天魔の声に従う」

ヴィルディ教授への反論

「原発に絶対の安全は存在しない」「避難指示圏を半径40キロに拡張を」
-ジュネーブ大学研究所長ヴィルディ教授
04/05

「原発に絶対の安全は存在しない」と、スイス政府の原子力安全委員会長を5年間務めたジュネーブ大学研究所長ヴァルター・ヴィルディ教授は主張する。

また、福島第一原発事故の経過を研究した上で、半径40キロ圏内でも高い放射能が場所によって確認される現在「なぜ日本政府は半径30キロ圏内を、責任を回避する形の自主避難要請にしたのか理解に苦しむ。半径40キロを避難指示圏にすべきだ」と話す。

swissinfo.ch :福島原発事故で、原発の存在そのものが問われています。スイスの原子力安全委員会長の経験からどう思われますか?

ヴィルディ :原発は廃止すべきだと思う。一つのエネルギー源として極端に高額だからだ。建設費そのもの、安全性の確保、監視、 特にテロの攻撃回避の監視などに、巨額の資金がかかる。また、原発に「絶対の安全」は存在しない。
今回スイスでもなぜこんなに騒いだのかというと、この安全性が問題になったからだ。福島で冷却装置が止まったとき、非常用ディーゼル発電も作動しなかった。実はスイスでも安全性のテストを行うと、しばしばこのディーゼル発電が作動しない。作動したとしても直後に停止したりと不安定。
つまりこの非常用発電が原発の最大の弱点で、そのため原発に信頼が置けない。
2006年にスウェーデンで炉心の溶融をギリギリ免れた事故があった。事故で通常の冷却装置が止まったとき、4機の非常用ディーゼル発電のうち1機だけが作動した。
もう1機は作動したが直ぐに止まり、作業員が20分後にたまたま原因を突き止め、2機が作動したお陰で危機は免れた。
使用済み燃料棒のプールの水循環用に非常用の発電機が日本にはなかったが、それはスイスでも同様だ。こうしたことから、原発には絶対の安全はないといえる。
それでも原発を認めるということは、今の日本のように、自分の国の一部を失う、つまりその地域の人が荒廃した土地を後にして再び故郷に戻れないようなリスクを受け入れるということだ。

swissinfo.ch :今後どの地域が放射能で汚染されるか、またそうした地域に人は住めなくなるのでしょうか?

ヴィルディ :今後放射能濃度が高くなる地域は、風と雨に大いに影響される。現在、汚染地域は、福島第一原発から内陸に向かって水平に細長く広がり、さらに北西と南西に広がる傾向を見せている。では東京はどうかというと、現在の状況からは何とも言えない。
わたしの考えでは現在、半径40キロ圏内が、場所によるばらつきはあるが汚染されている。今後この土地に再び住めるかどうかだが、地表から深さ20~40 センチメートルまでの土を取り除き、これを放射能が出ないような形でどこかの場所に保存するという計画も検討中だと聞いた。
しかし、それはとてつもない量の土で難しいだろう。風景も完全に変わるだろう。
チェルノブイリでは、およそ半径30~40キロ圏の汚染地域から人を完全に転居させた。25年たった現在、政府当局は数百人の高齢者にのみ再入居を許可した。というのも、放射能を今後何年間か蓄積してがんになるとしても高齢者にとっては ( 寿命と ) 同じだからだ。
こうしたゾーンをはっきりと確定するには、とにかく土地の放射能濃度を広範囲に、詳細かつ正確に測定することが望まれる。
ところで、つい先日半径40キロ圏内のある地点で高い濃度の放射能が観測された。
正確な各地の数値が関係当局から出ないので、グリーンピースがこれを行ったのだが、( 日本の当局が ) 原発を持ちながらこうした測定の体制を整えていないことにはただ唖然とした。
技術的には非常に単純なことだ。
これは政治の姿勢の問題というか、文化の違いというか、われわれには信じられない。

swissinfo.ch :今後福島原発はどうなっていくのか、あなたの意見を聞かせて下さい。

ヴィルディ :恐らく今後数カ月間は1~3号機の炉心の冷却を続ける必要がある。その後、炉心が少し低温になったところで、コンクリートで固めるか、砂で固めるか、とにかく放射能漏出を遮断することになるだろう。
しかし、それまでに炉心の溶融した燃料棒の表面は高温のため水が直ちに水蒸気となり、高濃度の放射能を含んだまま外に排出される。
大量の汚染水もだが、大気中に排出され続けるこの高濃度の放射能が問題だ。
半径20キロ圏内の住民は避難したが、40キロの地域でも高い濃度が観測されたことから今後20キロから40キロ圏内の人々のがんにかかる可能性は高まっていく。
ヨードやセシウムだけに限らず、重いために遠くまで飛散はしないが非常に危険なプルトニウムでさえ、この圏内には存在しうる。
第3号機にプルトニウム・ウラン混合酸化物燃料MOXが使用されているからだ。
こうした状況でなぜ日本政府は半径30キロ圏内を 責任を回避する形での自主避難要請にしたのか理解に苦しむ。
30キロではなく、40キロ圏内をただちに避難指示圏にすべきだ。
予測できるのは、補償金の問題だ。今回福島原発事故の損害額の見積もりは4兆フラン( 約366兆円 ) 。同じことがスイスで起これば、電力会社が避難した人などへの補償金として保険から1.8億フラン( 約165億円 ) を払い、差額は政府が受け持つ。
日本では、恐らく東京電力は支払えないだろうから政府の負担になるのだろうが、それが巨額なため自主避難要請にしたのではないかと推測する。避難しようとしまいとそれは個人の責任だということだ。
もう一度言うが、こうした事故での補償を含め、原発はとにかく巨額な支出になる。
しかし、原発はいつも安全だと宣伝されてきた。スリーマイル島でも、チェルノブイリでもこれらの事故は例外的に起こったのだと。
特にチェルノブイリはロシアで、しかも古い型だったから起こったのだと宣伝されてきた。

swissinfo.ch : 福島原発事故も津波のせいだというのではないでしょうか?

ヴィルディ :今回は津波のせいだけではない。地震、津波の想定値が低かった。設備の安全性のレベルが低かった。直ぐに冷却しなかった。情報が直ぐに伝わらなかったなど、明らかにこうしたさまざまな要素の総合で起きたのであって、津波だけだとは言えない。
もし理由が一つならそれを修正すればすむ。しかし、今回はすべてが悪かった。ではどうするのかということだ。

swissinfo.ch :汚染水が海に流れ込んでいますが、今後の影響は?

ヴィルディ : 
放射能の、特にヨード131とセシウム137が近海の魚貝類の中に蓄積されていく。中でも重いセシウムがたまっていく。従って、恐らく福島第一原発近海では今後4、50年は漁業ができないだろう。
近辺のアジアの国や太平洋の島などが、海流の関係で汚染される可能性があるかもしれないが、汚染がアメリカまで達するとは考えられない。海は巨大で放射能が拡散されるからだ。
結論として、今後数週間は高濃度の放射能が排出されるだろう。
従って信頼できる測定システムを使い、正しい情報を半径40キロ圏やそれ以上の放射能濃度の高い地域の人々に知らせ、避難させることが緊急課題だ。その上で長期的な視点に立った解決策を探ることが重要だと思う。

swissinfo.ch
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=29927034

福島県会津若松市の避難所に4月3日到着した、福島第一原発から20キロ圏内に位置する大熊町の住民たち。
彼らは「住んでいた住居から家財道具さえ、放射能のせいで取り出せないのではないか」とヴィルディ 氏は言う (Keystone)
http://www.swissinfo.ch/media/cms/images/keystone/2011/04/109073055-29925316.jpg
ヴァルター・ヴィルディ 氏 (unige.ch)
http://www.swissinfo.ch/media/cms/images/null/2011/04/walter-29925294.jpg




反論に代えて:参考

・福島原発80キロ圏内の高放射地域が大幅に減少 米エネルギー省
2011.4.7 10:08

 米エネルギー省は6日までに、福島第1原発から80キロ圏を中心とする地上の放射線量を3月30日から4月3日にかけて観測した最新の結果を公表、3月17~19日の観測結果に比べると線量の高い地域は大幅に減少した。

 同省は、19日以降まとまった放射性物質の蓄積は起きていないとしている。

 今回は、地上の測定機器や航空機を使って観測、原発のすぐそばで毎時125マイクロシーベルトと高い線量が観測された。原発から北西方向に向かって毎時21マイクロシーベルトを超える地域が30~40キロにわたって帯状に延びており、この帯から離れるにつれて線量は下がっていた。

 3月17~19日と比べると125マイクロシーベルトの地域はごくわずかになった。

 一方、東京周辺の線量は毎時0・32マイクロシーベルト未満で、健康に悪影響を及ぼす量ではなかった。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110407/dst11040710100015-n1.htm







・水深160メートルに放射性物質「生物濃縮の懸念」
2011.3.30 22:13
 文部科学省は、福島第1原発周辺の水深112~160メートルで28日に採取した海水から放射性のヨウ素やセシウムを検出した。いずれも法令が定める濃度限度以下だが、原子力安全委員会は30日、「(魚介で食物連鎖による)生物濃縮の懸念がある」とした。

 原発から沖に約20~30キロの5カ所で採取、うち4カ所で放射性物質を検出した。最大で水1リットル当たりでヨウ素131が2・17ベクレル、セシウム137が8・64ベクレル。

 また文科省は原発から北に約25キロ離れた福島県内で29日に採取した雨やほこりに、1立方メートルあたりヨウ素131を75ベクレル、セシウム137を46ベクレル検出。原子力安全委は「風向きによる一過性の現象で影響はない」とした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110330/dst11033022150068-n1.htm



・放射能-魚への「生物濃縮」は農薬のようには起こらない。海水の濃度=魚内の濃度だそうな。
2011年04月05日 12時53分

今回の地震および原発事故の影響について、在つくばの研究者と思われる方(ただし、原子力関係が専門ではないとみられる)が、客観的な資料を読み込み、分析して解説してくれているブログ。

http://tsukuba2011.blog60.fc2.com/blog-entry-42.html
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/pdf/110331suisan.pdf

そのなかで、海洋放射能汚染⇒魚を食べると、について、解説してくれています。

気になるのは食物連鎖による魚への「生物濃縮」。水俣病などの公害病のときには、食物連鎖で毒性物質が魚に濃縮されて蓄積し、食べると害が出ました。放射性物質の場合、魚への生物濃縮は農薬のような形では起こらない、ということがわかっているそうです。

その理由は、セシウム(Cs)は、カリウムと同じ種類の一価の陽イオンなので、カリウムと同じように体外に排出されやすいためとのこと。

そうすると、放射性物質の海水内の濃度=魚の中の濃度といってよく、文科省がモニタリングしている海水中の放射線量のデータを注視して、大丈夫かどうかを見極めればよさそう。ちなみに、Cs137の生物学的半減期は約50日だそうです。
http://socialnews.rakuten.co.jp/link/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%EF%BC%8D%E9%AD%9A%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%94%9F%E7%89%A9%E6%BF%83%E7%B8%AE%E3%80%8D%E3%81%AF%E8%BE%B2%E8%96%AC%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%AF%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%89%E3%81%AA








7 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:09:01.97 ID:rRTAmPX7
>>恐らく福島第一原発近海では今後4、50年は漁業ができないだろう。
近辺のアジアの国や太平洋の島などが、海流の関係で汚染される
可能性があるかもしれないが、汚染がアメリカまで達するとは考えられない。
海は巨大で放射能が拡散されるからだ。

言ってることがメチャクチャw

12 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:10:48.26 ID:+BaGlUvB
×原発に絶対の安全は存在しない
○工業製品に絶対の安全は存在しない

13 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:11:10.21 ID:BGRciA+S
三陸沖は世界三大漁場のひとつだから、お魚が食卓から消えるのもそう遠くないな

18 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:17:06.83 ID:AgTOqdbw
>高い濃度の放射能が観測された
>グリーンピースがこれを行った

緑豆の名前が出たとたん民主政府発表並に胡散臭くなるわ

20 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:18:19.22 ID:KqLWR9Ec
ステーションブラックアウト(電源喪失による制御不可能)対策さえすれば原発賛成

なんて今言えそうにないが数年前まで反原発を主張すると極左扱い。
どうなってんのここ。

24 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:20:36.77 ID:AOCxYi8r
40キロだと、南相馬市どころか相馬市も入るな・・・

26 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:23:22.70 ID:VjJPMwho
どうせ補償なんてしないくせに 早く避難させてやれ

27 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:23:29.78 ID:UrQ8SwKh
朝日などは原発から50~60キロ圏内の取材はさせないと
自主的に規定してるそうじゃないか。なんで30キロ圏内に
留まっている避難を問題にしない? 

31 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:30:24.93 ID:iY+cRUA2
被害総額見込みはここで初めてみました。
366兆円。。。

32 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:32:19.64 ID:njaY6/6K
自然エネルギーでは無理なのは今のドイツを見れば明らかだろ。原発止めてからどうなっている?

33 :名前をあたえないでください:2011/04/07(木) 01:33:20.80 ID:wXjyIHcp
他国のことだから、おもしろがって、思いっきり広く言うんだよね。
そりゃ、広く言えば言うほど、一見良心的に見えるけど、
本当は健康に害はないのに避難させられる方は 大迷惑なんだよ。

35 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 01:36:28.87 ID:KqLWR9Ec
ドイツは緑の党が政権政党だったせいで隣のフランスに原発が移動しただけで。
お手本にはならない。

隣国の原発で作った電気を金で買っていただけだから。

43 :名前をあたえないでください:2011/04/07(木) 01:55:11.67 ID:wXjyIHcp
チェルノブイリだってあんなに大騒ぎしたけど
NHKのクローズアップ現代に出ていた東大医学部の先生の話だと
チェルノブイリの原発事故から25年、
EU(ヨーロッパ共同体)による調査の結果、大人のガンの発生率は増加していない。
当時10才以下の小児だった人々の甲状腺ガンの発生率は増加が見られた、
旧ソ連邦では、学校給食の牛乳などの放射性ヨウ素の検査をしていなかったためという。

57 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 02:15:01.21 ID:BjxoZWtJ
別に原発は、と特定しなくても
ヒューマンエラーは一定の確率で起こりうるので
どんな機械にも「絶対の安全は存在しない」んだけどね...

58 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 02:24:01.06 ID:riP2PyYV
絶対の安全は存在しないから絶対ミスがゆるされない原発はダメ、
ってまともな事を言うとネトウヨにプロ市民、極左扱いされてきた

59 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 02:36:28.20 ID:u+Gic4WE
テロの標的になるね(ブルブル)電源系壊したり・・・・・・・・

60 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 02:37:08.58 ID:KqLWR9Ec
事故っただどうしてくれる。だから絶対反対

事故はありえない。だから絶対安全
が譲り合わなかったせいでこうなった。

事故ったらどうするかを前もって妥協し話し合って決めておかないと。

65 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 02:46:35.21 ID:ZThQP5/5
言葉とは裏腹に安全対策の金と手間惜しんで杜撰な管理してきたからこういうことが起こったわけで
絶対の安全は求めないからせめて出来ることはやってくれ

74 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 03:35:04.25 ID:BjxoZWtJ
ヒューマンエラーがあるので
「絶対安全なものは存在しない」のは事実だが
だからこそ、それを念頭に置いて
いざその状況が起きたときに迅速に決定/行動できるように
マニュアルを策定しておくべきなのに
それをしなかった東電は万死に値する。

今回の場合で言えば
冷却系の電源がすべて失われた時点で
(電源車を待つなんてことはしないで)
ただちに海水を注入する、というマニュアルがあってしかるべきなのに
それがなかったのが大問題...原発の是非以前の問題だと思うよ。

75 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 03:37:59.83 ID:KqLWR9Ec
津波でECCSが動きませんでした。
はいそうですか。って言えるか。

81 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 06:09:27.11 ID:ivv0OU8s
住人の中には赤ちゃんや子供、妊婦がいる事を考えないとな
現状は20km圏内が退避で、そこから30km圏内が屋内退避だっけ
これからは距離は関係なく
今までの積算の放射能の汚染など現実の汚染度を参考にして
もっと柔軟に非難区域を設定した方が良いと思う

84 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 07:22:28.26 ID:T6NsZQwI
まずどんなディーゼル発電機をどんな風に設置、稼働させてるのかが気になるし、
それほど不安定なことがよく知られて実例も挙がっている電源を
採用し続けている理由や、他の発電方法はダメなのかがわからないし、
ディーゼル発電機が不安定だから原発は安全にできないというのは論理の飛躍に感じられる。
素人の俺が設計者なら、制御棟に足こぎ発電機とバイトを常時置いておく。
当然並列になるから故障にも強いはずだ。

たとえば宇宙船なんかは「絶対に止まってはいけない設備」だが、
それと比べて原発はどこまで研究、実装が進んでいるのか。
まさか東武線並だったら笑えるが。

86 :エラ通信 ◆0/aze39TU2 :2011/04/07(木) 08:50:14.34 ID:V7Z2uRbk
ヒューマンエラーっつーても、原発自体については、40年前のもので
立地・建屋の改善はほぼ無理だったわな。

改善資金? 枝野が、民主党の方針にのっとり仕分けした。
廃炉方針? 国賊総理鳩山由紀夫がCO2削減掲げてぶっ潰した。
電源車は、いつの段階かしらねえが、予備電源車をコストカッターが削減してた。
最初の段階で、米軍から提供されるホウ素をことわったのは菅
死者・不明者がでているのに、邪魔しにいったのは菅
コンクリートポンプ車の提供を断ったのは、推定)岡田。

民主党政権は、幼稚な政治主導ごっこで六日から二週間、対応が遅れる傾向にある。

87 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 08:59:48.14 ID:ThLaQJ77
リスクは逃れるものではなく向き合うもの

この基本姿勢を知らない奴が多すぎる

95 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 10:16:13.89 ID:55LtJJ9m
そうだな、絶対に安全でコストもそんな変わらない発電施設にするべきだな!

96 :七つの海の名無しさん:2011/04/07(木) 10:16:28.65 ID:8SVBLQjx
まぁ原発じゃなくても、世の中絶対の安全なんてないわけで。
察してやれよ。









まず最初に、スイス政府の原子力安全委員会長を5年間務めたジュネーブ大学研究所長ヴァルター・ヴィルディ教授なる人物と、環境保護(名目営利活動)団体グリーンピースの密接な関係については指摘しておきたい。

彼らは正確な情報分析に基づく大局的な対策を提言するというよりは、自分たちの政治的信条に基づき世論を誘導しそれをビジネスにすることを基本にしている確信犯的イデオロギストである。
故にその発言は注意深く取捨選択されておく必要がある。

しかしながら安全マージンを大きくとっての避難範囲など、彼の発言においていくつか傾聴に値する提言がなされていたことを素直に認めるべきであろう。
それは科学的配慮ではなく政治的な配慮として必要だと考えるからである。

その上で、なおその発言の虚偽性に関する反駁資料を置いておいた。あとはご自分で判断していただきたい。


おそらく、被害補償は数百兆円は有り得ないにせよ、数十兆円に及ぶことを覚悟しておく必要がある。
また汚染地域の表層土壌の入れ替えは、全域ではないにせよ、将来への安全マージンを大きく取ってかなり広範囲にするしかないであろう。
しかしながら住民が居住不可能になるという事態は考えられない。

さらに魚介類農産物への放射能汚染の風評被害を食い止めるべく、今後十年にわたるサンプルモニタリング調査が継続されることにもなる。

最も困難なのは、放射性物質に汚染された人工構築物の巨大は残骸、すなわち第一発電所の解体処理である。これは人類にとってほとんど未知の技術的挑戦になる。日本の総力は無論、各国の叡智をも借り、将来より安全なエネルギーシステムを構築するための偉大な挑戦と覚悟して突き進むしかない。

いずれにせよ、起きたことは取り返しが付かない。退くにせよ前に進むにせよ、覚悟を決め冷徹な判断を躊躇なく下していくしかない。

そのためには賢明な国民と、政権担当能力を十分に持つ強力な政府と、私企業の営利より運命共同体としての公共への奉仕をこそ強く意識できる見識ある財界人の協力が欠かせない。

毅然とした挑戦。それを放棄し、ここで怯えるだけの、危機から逃げる道を選択するのであれば、子どもたちの世代に未来はなくなる。
だからたとえ大きな痛みがあっても、それが最悪の事態を避けるためにやむを得ないものであるなら、なお決意を固めそれに向きあうしかない。

そこで挙国一致を成し遂げるための、意志と能力ある政治家の言葉がいまこそほしいところだが、残念ながら今の日本には麻生太郎や石破茂ぐらい、わずか数人しか人材がないのが現実なのである。

国民はそのことをどうか理解して、こんどこそ、自分たちの生命身体の安全を真に委ねられるべき政治家と政党に委ねる決断をして欲しいと願う。

阪神大震災と東日本大震災、政治的判断の誤りで二回も失敗したのだから、そろそろ学習して欲しい。

非常時における指導者の裏切り、その実例

・枝野幸男官房長官のご家族
2011年4月7日木曜日

549 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/04/05(火) 01:55:30.48 ID:x05T7zm80 
枝野の双子の子供は海外に避難させてんだよなー  

556 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2011/04/05(火) 01:56:53.73 ID:8cEezbbL0 
>>549  
なんか、枝野さんの家族はシンガポールにいるとか書き込みがあるんだけど、  
それが本当なら、枝野と言う人は、首相候補どころの話じゃないな。  

607 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2011/04/05(火) 02:06:08.33 ID:ZsRrNByT0 
>>549  
シンガポールと聞いたが  


409 名無しさん@涙目です。(東京都) :2011/04/06(水) 17:09:45.02 ID:dJsUJpO40
記者>>家族が海外いるけど?なぜ?
枝野>>旅行です

@16時 枝野会見

(引用元:http://tokumei10.blogspot.com/2011/04/blog-post_07.html)





これが事実だとすれば、自らが危機対策を陣頭指揮し、国民の不安を鎮める重い責務を負う人間としての資格を失っている。


国民に向かって安心安全を言うのだから、無論自分の言動を裏付けるように自らの家族をこそ安全である東京に置いておくべきなのに、自らの言葉をあっさり行いで反故にしてしまっているということになる。

言行不一致、禁反言、信頼失墜。

枝野幸男にはじっくり顔突き合わせ目を見据えて釈明を聞きたいところだが、おそらく事実なのであろう。


もう少し期待できる男かと思っていたが、さすが民主党国会議員、全く期待を裏切ることがないカスっぷりである。
そのどこまでも保身と私利私欲第一の姿勢、いやぁ実に見上げたものだ。

いっそもう永久に寝たらどうだ、ネロ枝野、パトラッシュに抱かれて。

上に立つ人間が「自分さえ、自分の家族さえ無事ならそれで他の民草などどうなってもいい」という態度をあからさまにするのであれば、それは自分が上に立つべきなのではなく下に踏みつけられるべき人格しかない人間であると告白しているに等しい。

少なくともそういう裏切りを国民に対してする人間は、信用するに値しない。

下座しろ、枝野。

しかしやはり見た目バカ面は馬鹿しかいないか?






その一方、指導者として自らの言動にさえ責任を持てぬ、信用置くに能わざる嘘つき政権集団が、国民に対してだけ一種の言論検閲とも言える措置に出ようと目論んでいる。







・ネットの流言飛語、管理者の自主削除を要請

総務省は6日、インターネットサービス事業者ら通信各社に対し、東日本大震災に関するネット上の流言飛語について、表現の自由に配慮しつつ、適切に対応するよう要請した。

ネットのサイト管理者らに、法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除などを求める。

震災後、地震や原発事故についての不確かな情報がネット上で流れ、国民の不安をいたずらにあおり、被災地などでの混乱を助長しているとして、関係省庁で対応を協議していた。

(2011年4月6日22時36分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110406-OYT1T00939.htm







菅直人以下、民主党議員に聞きたいことがある。

お前らは流言飛語に踊るしかない国民の不安をどれほど我が身のこととして理解できているのであろう?
それを鎮めるための誠実な裏表なき言動をどれだけ自らの立場に賭けてやれていると自負しているのか?

どう贔屓目に見ても、お前らがやっているのは危機対策ではなく自己保身第一の奇怪極まりない政治ゲームでしかあるまい?

お前らの言動にはことごとく人としての誠実さがない。指導者たるべき隠し事のない毅然さがない。

だから信じたいと思ってもなお、信じることを国民にためらわせてしまう。

ならば改めるべきは、国民の側ではなく、まずお前たち役立たずのグズども自身の態度でなければ順序が逆さまなのである。

それを、どころか平時であれば言論弾圧、宣言なき戒厳令下の事前検閲と謗られてもやむを得ないような蛮行をやろうとさえしている。

正気なのか?立法府の人間として、あるいは行政府の長として法という物の精神をどこまで理解できているのか?

考えたくはないがひょっとして、事態を収拾できない自分たちの無能さがあからさまになる瞬間が迫り来る恐怖に耐えかね、とうとう狂ったか?

だとすれば選ばれた卑しい連中、選卑小物集団の器量相応な話ではある。

まあお前らのような連中を民意とやらが選んでしまったゆえのツケを、連帯責任でこうやって支払わされているとのだと思えば、黙って我慢するしかない。

しかし言っておく。

「お前らに次も未来もないことだけは覚悟しておけ!」

小沢一郎を含め、お前ら民主党国会議員全員の政治生命は、今回の大災害と共に永久に終わったのである。国民はお前らを選良と呼ぶことはできない。

2011年4月6日水曜日

壮士ひとたび去ってまた

・「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ―定年前に自ら志願
時事通信 3月16日(水)4時56分配信

福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 
会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 
男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。

話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
 
東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。

「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 
男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。

出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。 

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date1&k=2011031600093







・現場で頑張っているある技術者の声

80 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/03/15(火) 20:32:56.72 ID:uA1h3bnp0 [1/3]
彼を誇りに思う


484 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:28:09.94 ID:4H+avxtM0
>>480
業者の責任者だったので、担当現場の作業員が全員が退避するまで中に居ました。
爆発したのは、反応で出来る水素が、逃した時に爆発したものと思われます。

原子炉内の圧力を下げる措置中だったと思われます。
PCV D/W内を海水で満たせば、確実に温度を冷やし、溶融を防げると思いますが、
各種のセンサーを殺す事となり、監視が盲状態になります。

また、海水を使えば、廃炉が決定的になると思います。

485 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:32:29.23 ID:QA+GTWha0
>>484
制御できなくなっちゃうってことか・・・
まあ確実に大丈夫ってことみたいだし周りも避難してるし
海水入れれば最悪の事態は免れるようで安心した
とりあえずゆっくり休んでくださいな

486 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:34:27.38 ID:4H+avxtM0
>>485
やり残した事があるんで、数日後に戻ります。
残してきた仲間にも、数日後に帰ると宣言して帰ってきました。

488 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:45:24.89 ID:4H+avxtM0
>>487
すでに被曝しています。
ただ、やられっぱなしってのは、技術者として、男として
なんだかなぁ・・・・・って感じなので、戻ります。
残ってる2、3、4号機を直す、一端を担いに行きます。

(引用元:http://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-7947.html)







どのような社会も、いかなるシステムも、それを作ったのは神ではなく人間であり、だからそこに何かの脅威によって致命的な事態が生じたとき、そしてもはや打つべき手がこちら側に殆ど残されていない状況に陥ったとき、最後にそこに立ち塞がるべきはただ意志を持ち合わせた強靭な人格それひとつなのである。

あるいは怯懦な人格しか持ち合わせぬ傍観者どもはこういうかもしれない。

多くの人間の叡智と経験によって作られた精密なシステムさえ、強大な脅威の前に完膚なきまでに打ち倒されようとしているのに、いまさらたった一人の、それも強靭な意志以外なにも持ち合わせのない非力な人間が立ち向かったところで何が出来る?

おそらく事実はそのクズ同然の奴が指摘する通りなのだろう。たぶん成功する確率はほとんどない。自分は無残に打ちのめされ敗北感のうちに倒れていくしかないに違いない。

しかし、それでもなお、誰かがやらねば、誰かがなけなしの勇気と挟持を振り絞ってでも強大な敵にたちむかわなければ、その瞬間全ては決まってしまう。もはや残された人々にも未来は残されていない。

一粒の麦もし地に落ちなば

かつて古代の賢哲はそういって自らの死の運命に向かって歩を進めたという。

おそらく彼は知っていた。

自分の弱さや臆病さ、それは残される人々となにも変わらない。
しかし私にも彼らにも人であるがゆえの隠し持たれた未だ目覚めざる内なる神の意志=なけなしの勇気と挟持は必ずや斉しくあるでろう。

いま自分がなけなしの勇気と挟持を振り絞ったところで、それが運命の強大な力をはねのけるだけのものになるとは思えない。
だから自分はただ無力に打ちひしがれ虚しく倒れるに違いない。

しかしそれでももし、自分がこの瞬間、自らの敗北と引換にでも、人の内に、誰しものなかに斉しく隠し置かれているはずの神の意志の輝きを示しうるのであれば、敗北してなお人々に残していけるもの、未来への希望の灯の続くことだけは期待できる。

だからその可能性にかける。かけてこの生命をいま放り出す。


結果、彼は死んだ。ただ彼の思惑、彼の勇気と挟持、すなわち人のうちに眠る、未だ目覚めざる神の意志だけは、彼の代わりに、多くの人々の中で蘇った。

すなわちこれこそが真の意味における神の復活ということなのである。

しかし彼の弟子を僭称するばかりの愚かなるグズ共は、その真意を一向に解することもなく、ただ死人が本当に墓場から復活したと信じ、そう信じることこそが忠実なる神への信仰なのであると本気で信じてさえいる有様である。

これではイエスの奴も無念を抱え続けるしかない。

そして事実、奴を神と仰ぎ観る愚民の集会=教会は、その神なる奴の真意さえ何も理解していない、それとは別の何かの妄想を延々信じるだけのさらなる馬鹿を再生産するだけの機関となり果てている。
たしかにこれでは救われるはずもない。だから奴らは滅びる。

もっとも、イエスが示し得たような手本は、奴以前にも奴以後にも、奴の存在を知っていようが知るまいが、どころか基本的に奴とはほぼ無関係に、人間社会の中にひろく存在し続けている。

それどころかある程度高度にまで構築された社会においては、それが半ば職業化さえしている。

たとえば警官、たとえば消防士、例えば自衛官、そしてたとえばこの定年間際の名もなきただの会社員。

彼らも元を正せば私たちと同じ、普通の人間だ。常に弱さや臆病さを自覚しながらそれでも必死に勇気と挟持を振り絞って社会の手本にならんと、その職務に殉じんと覚悟を決めている。

彼らは、いわば一面識もない私たちの平和と幸福のために、もっとも大切であるはずの自分の命さえさし出して、そこに形なき人格の力、輝ける神の意志を示し残そうとしてくれている。

思うに彼らは自らの死と引換にでも内なる神の意志を人々に示そうと振舞う瞬間、確かにこの地上に顕現したまぎれもない神の化体、化身であるに違いない。

彼らは自分の命を惜しまず捨てようとすることで、却って自らの中にある神の意志を目覚めさせ、真なる神の化身としてあることができる。

そうすることで、多くの人々の心の中にも斉しくある、未だ目覚めざる神の意志をも目覚めさせようとする。

それは紛れもなく深い眠りの中、怯懦にまどろむ人々の心を救うことなのであり、つまり人の心によって出来上がったこの世界そのものを救うことに他ならず、だから彼らは真の意味で救世主と呼ばれるにふさわしい。

でである。実際のところ、そうやって自己犠牲的に死んでいく人々が神の化身であろうが、救世主であろうが、それはどうでもいい。

真に大切な事は、彼らは私たちと同じ弱さや臆病さを抱え持つ人間であり、にもかかわらず彼らと私たちをなお天と地に分け隔てるものがあるのだとすれば、それは彼らの示し得た、死をも超克するなけなしの勇気と挟持だけなのだという点にある。

いざというとき、彼らはなけなしの勇気と挟持を必死に振り絞って死の運命を前に剣を高く振りかざせた。

逆にそうでない人間は、剣を投げ捨て自分だけは助かろうと逃げるか、みっともなくも敵に命乞いするばかりなのであろう。

ではなぜ同じ神の意志を斉しく持ち合わせながら、なお人は天と地に分け隔てられるのであろう?

おそらくここで考えうる答えはこういうことだ。

彼ら神の化身、救世主になり得る人格とは、人の心の皆斉しいことを人生のどこかでしかと気づいた人格なのであり、だから他者の中に自分と同じ意志が受け継がれていくことを信じており、そこに希望を委ねることが正しいことを知っている。

だから彼らは自分の死が自分という存在すべての死でないことを理解している。否、死ぬことで却って永遠に残していけるものがあることを知っている。

自身が死ぬことで彼の人格は多くの人々の中に受け継がれ、その死に様を記憶する人がある限りどこまでも永遠に生き続けていく。

かくしてなけなしの勇気と挟持を振り絞って死に立ち向かった彼らは天上で仰ぎ見られる永遠の星となった。

私利私欲と怯懦な人格のままの人々は、自らのうちにも彼と斉しい神の意志が眠っていることに気づくこともないまま、命を長く保ち守るつもりで却ってその身もろとも地上の泥となり果てる。

まるで宝を抱えていながらその真の価値を知らぬまま死んでいく乞食そのもの。




今回の東日本大震災、とくに福島原発事故にまつろう様々な人間模様を俯瞰するほどに、人の人格の力の様々であることを否応なく気付かされる。

しかしこの未曾有に危難に際してなお、内なる神の意志の輝きを確かに見せつけ得た崇高な人格もあった。

たとえばこの名もなき会社員、殉職して行った多くの無名職業人たち。

その一方で、自分の命や保身と引換に末代までの汚名や、己の魂深く長く久しい罪悪をも刻むことになった著名な人々もいる。

彼らは決して自らのうちに眠る神の意志を目覚めさせること能わないまま虚しく死んでいくしかない、生ける泥クズのような生き物である。

どれだけ社会的地位があろうと、どれほど名誉があり金を持ち着飾り偉そうな言葉を吐こうが、しょせんゴミはゴミだ。その人格には鉛ほどの価値もない。

当然、この世の名もなき神の化身や救世主達に比べるべくもない。




最後になりますが、この悲壮な覚悟をなされた名もなき会社員の方、そしてその意志を気丈に受け止められたご家族の方々に申し上げます。

僕にはいま貴方達のためにして差し上げられることが殆ど無いことをどうかお許しください。ただ同じ思いを持ってその心に寄り添うことしかできない自分の無力を強く恥じています。

同時に貴方達の意志が必ずや意味あるものとして結実すること、決して虚しく打ち捨てられる事にならぬことを信じます。
貴方達の示してくれた神の意志が多くの人々の中にあるそれをも目覚めさせる契機となることを信じます。
自身の命を放り投げる覚悟を決めた貴方が、再びその生命以上のものを大切なご家族の元へ持ち帰られることを信じ願います。

そして僕以外の多くの声なき声もまた、貴方達と共にあることを信じます。

だからどうかご無事でお戻りください!待っています!







参考:

・風蕭蕭として易水寒し(かぜしょうしょうとしてえきすいさむし)
 
春秋戦国の時代には、敵国の王侯を刺殺するために、一本の匕首(短剣)に全てをかけて敵地に入り込む刺客が、ことに多かった。その最も著名なのが荊軻(けいか)である。
 
荊軻は衞の生まれだったが、祖国に用いられず、国々を遍歴して燕に行き、そこで巷に人望の高かった任侠の士・田光の知遇を得ていた。
彼はまた筑(琴に似た竹製の楽器)の名手の高漸離と意気投合し、いつも二人で酒を飲み歩き、酔うと高漸離は筑を鳴らし、荊軻はそれに和して歌い、傍若無人に振る舞っていたが、巷に酔いしれているかと思えば独居して書を読み、また剣を磨くことも怠らなかった。
 
秦が着々と天下統一の歩みを進めている頃であった。

韓を滅ぼし、趙を滅ぼした秦は、趙と燕との国境を流れる易水に臨んで、将に燕に攻め入る態勢を整えていた。
その時燕の太子の丹が秦王・政を刺すべき刺客として選んだのは、田光であった。

だが田光は自分の老齢を考えて、荊軻を薦めると、その決意を励ますために、自らは首をはねて死んだ。
大事を命じられながら果たし得ない老骨の身の、それが太子のためになし得る唯一の道だと思ったのである。
 
そのころ、秦から樊於期という将軍が燕に逃れてきて太子丹の元に身を隠していた。

荊軻は秦王が莫大な賞金をかけて樊於期の首を求めているのを知ると、その首と、燕の督亢の地図を持って行けば秦王は心を許して引見するに違いないと考え、そのことを太子丹に申し出た。

太子丹は荊軻を一刻も早く秦へやりたいと焦慮しながらも、樊於期を斬るには忍びない様子である。
荊軻はそれを知ると、自ら樊於期に会って死を求めた。
それが秦王に対する樊於期の恨みを晴らし、太子丹に対する恩にも報い、かる燕の憂いを除く道であると説いたのである。

――樊於期は田光がしたのと同じように、荊軻の前で自ら首をはねて死んだ。
 
樊於期の首と、督亢の地図とのほかに、荊軻はともに秦へ行くべき友人を待っていた。
太子丹は秦舞陽と言う若者を副使として荊軻につけたが、荊軻には秦舞陽が頼みとするに足りる男とは思えなかったのである。

友は遠方に居てなかなか来なかった。

太子丹は、既に出発の準備を整えながら荊軻が立たないのを見ると、いよいよ焦慮して、秦舞陽一人を先に行かせようとした。荊軻は心ならずも友を待たずに行くことに決めた。
秦舞陽を一人やることは危ないと思ったからである。
それに時期も切迫している。太子の焦慮も解らぬではなかった。
 
太子丹をはじめ、事を知っている少数の者は、服を喪服に替えて荊軻達を易水のほとりまで送っていった。
いよいよ別れの時である。

高漸離は筑を奏で、荊軻はそれに和して歌った。

易水の風は冷たく人々の肌を刺し、高漸離の筑と荊軻の歌声とは悲壮に人々の心をふるわせた。

秦へ行けばおそらく生きては帰れないであろう。
これが荊軻を見る最後かと思うと高漸離は暗然と涙ぐみ、密かに涙を拭いかつ筑をかき鳴らして友
を送った。

荊軻は進みながら歌った。
 
風蕭蕭として易水寒し、
    壮士ひとたび去ってまた還らず。

(かぜ しょうしょうとして えきすいさむし、 そうしひとたびいって またかえらず)
 
その声は人々の肺腑をえぐった。

人々は皆、眼を怒らして秦の方を睨み、髪逆立って冠を突くばかりであった。

――すでにして荊軻は去り、ついに振り向くこともなくその姿は遠くなっていった。
 
秦へ行った荊軻は、樊於期の首と督亢の地図とを伴って、秦王政に近づくことを得たが、匕首一閃、秦王は身を引いて、荊軻の手にはただ王の袖だけが残った。

後ろから王を抱きとめるはずの秦舞陽は、もろくも人々にねじ伏せられていたのである。

荊軻はついに志を遂げることが出来ず、みずから自分の胸を開き、指さして秦王に刺させた。

秦王政の二十年、燕王喜の二十八年、紀元前二二八年のことであった。

政が天下を統一して始皇帝と号したのは、それから七年の後である。
                       (「史記」刺客列伝)
 
 
 
河出書房新社昭和38年1月30日発行の 
「中国故事物語」54pageに記載されています。
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-054.htmかぜしょうしょうとして

平成「えらいこっちゃ」運動のススメ

・鹿島神宮の大鳥居に被害

11日の地震で鹿島神宮の鳥居が倒壊したり五浦海岸の六角堂が流されるなど被害が出ています。

鹿嶋市の鹿島神宮の境内の表参道にある高さ10メートル、重さおよそ100トンの石造りの大鳥居は、11日の地震で根本から折れて倒壊し粉々に壊れてしました。

また、参道にならぶ石灯ろう60基も崩れたほか、国の重要文化財に指定されている本殿の屋根に取り付けられた千木と呼ばれる装飾の部分も外れる被害を受けました。

近くで土産店を営む主人は「どーんという大きな音とともに倒れました。歴史ある神宮の鳥居ですから残念です」と話していました。

また、茨城県北茨城市にある「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」も被害を受けました。
六角堂は、明治時代、日本画の横山大観らを指導した岡倉天心が活動拠点として設計した建物で、国の登録有形文化財に指定されています。

太平洋に面した断崖に立つ鮮やかな朱色の建物は観光名所として人気を集めていましたが、津波の被害を受け建物ごと海に流出しあとかたもなくなってしまい、人気を集めた景勝の地は姿を変えてしまいました。

2011年03月18日 00時33分
http://www.nhk.or.jp/lnews/mito/1074722672.html





・要石(かなめいし)
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮と千葉県香取市の香取神宮にあり、地震を鎮めているとされる、大部分が地中に埋まった霊石。

取神宮の要石の地上部分は丸いが、鹿島神宮の要石の地上部分は凹んでいる。

地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえているという。あるいは貫いている、あるいは打ち殺した・刺し殺したともいう。

そのためこれらの地域には大地震がないという。

ただし、大鯰(または竜)は日本全土に渡る、あるいは日本を取り囲んでいるともいい、護国の役割もある。

なお、鹿島神宮と香取神宮は、日本で古来から神宮を名乗っていたたった3社のうち2社であり(もう1社は伊勢神宮)、重要性がうかがえる。

鹿島神宮の要石は大鯰の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているという。あるいは、2つの要石は地中で繋がっているという。

要石を打ち下ろし地震を鎮めたのは、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(表記は各種あるが鹿島神社に倣う。通称鹿島様)だといわれる。
ただし記紀にそのような記述はなく、後代の付与である。

武甕槌大神は武神・剣神であるため、要石はしばしば剣にたとえられ、石剣と言うことがある。鯰絵では、大鯰を踏みつける姿や、剣を振り下ろす姿がよく描かれる。

万葉集には「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」と詠われている。
江戸時代には、この歌を紙に書いて3回唱えて門に張れば、地震の被害を避けられると言われた。
                     
                                (ウィキペディア)







今回の大地震で鹿島神宮の鳥居が壊れたというのは決して凶兆ではない。

むしろこれは護国の神であらせられる鹿島の武甕槌大神(たけみかづち)が封印を自ら断ち切られて乱れた世を糺すためご出座になられたということであり、日本国にとっての大吉兆と観ねばならない。

思うに、悪徳金権政治家の小沢一郎や詐欺で政権を奪取した民主党のような、まさに魂を外国に売り渡したような売国奴そのものに連中が、さかんに外患を誘いこみ、あろうことかこの国を丸ごと亡き者にしようと狼藉の限りを尽くしていたのを、ついぞ見かねてのことでもあったのだろう。

日本国に敵対し世を乱し滅ぼさんとする大悪を誅するためには、末代まで国が揺れぬようにじっと大地を抑えつけるという大役を放り出してでも、大神自らがお立ちにならねばならなかったのであろう。

また鹿島の神がご不在である間は、古の国譲りの黙契に基づいて、諏訪神社におわします建御名方神が国土を鎮守されることにもなるのであろう。

これこそまさに「すわっ、一大事」であるが、逆にだからこそ心配は要らない。

諏訪におわします建御名方神さまが此度の震災からもきっとお守り下さることであろう。「みかぼし、みかぼし」





、、、とまあ、こう云うことは、たとえ嘘半分でもそうだと信じ心を落ち着かせることこそが大切なのである。







ところでかって情勢不穏先行き不透明であった幕末の折「ええじゃないか」という大衆運動が起きたことがあった。

こんなのだ。




・ええじゃないか

日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から翌明治元年(1868年)4月にかけて、東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった社会現象である。

天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ、という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。

その目的は定かでない。

囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。

これに対し、討幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという説もある。
江戸のバブル期後の抑圧された世相の打ち壊しを避けるために幕府が仕掛けた「ガス抜き」であったという説もある。

本来の意図が何であったにせよ、卑猥な歌詞などもあったところを見ると、多くの者はただブームに乗って楽しく騒いでいただけのようでもある。

岩倉具視の岩倉公実記によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。
八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。

また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。

歌詞は各地で作られ、例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)などがあった。

                       (ウィキペディア)







それで今回の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故の騒ぎにおいては、政府の無能さのあまり一向に事態の先行きが見えず、「ええじゃないか!」というよりはまさに「えらいこっちゃ」という気分しかしない。

なので今回はこういう感じの戯れ歌を余興で作ってみた。




「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、揺れる大地に寄せ来る津波、壊れたものなら直さにゃ損々…」




ちなみにオリジナルはこういうものである。

・「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」
徳島の阿波踊りの「よしこの」の一節。

・よしこの‐ぶし 【よしこの節】
江戸後期に流行した俗謡。潮来節(いたこぶし)から出たといわれ、七・七・七・五の4句の歌詞で、内容・形式は都々逸(どどいつ)に似る。曲名は囃子詞(はやしことば)の一節から。





で、ここで僕が何を考えているかというと、この際だから「ええじゃないか」ならぬ、平成「えらいこっちゃ」運動でも大々的に起きて、世直し運動につながると面白いかなと思っていたのだ。




でである。

古来、この国で云われるところの言霊というのは、人のこらえきれぬ想い、情念がこぼれでて自ずと発せられる言葉のことをこそ言っていたのだと思うのだ。

今回、多くの人が被災し、ばかりか家族を失った。
耐え切れぬ不条理の前に生きる気力を丸ごと奪われた多くの人がいる。

被災地や福島原発では、先行きの見えない作業に従事者たちの疲労も限界に近付いている。
誰かのためにという必死の思いで切れる限界いっぱいまで張られた緊張の糸は危うい状態にある。

そして政府や東電の無能無策に多くの国民が強いストレスと不安を感じ始めている。
あとほんの一押し何かとてもショッキングな知らせがあれば、たちまち人心は流言飛語の渦に翻弄されかねない寸前にいる。


正直、人々はいまや悲しみと不安がゴチャまぜになった状態で、思いを内側に貯めこむばかりで、そうした思いをどういう言葉に代えて吐露したらいいものやら途方にくれ、おかげで自分たちの正常な精神状態を維持するのも一苦労という有様だ。

こういう時に限って、人というのはなぜか余計に息をひそめて、思いのたけをぶちまけて言葉を発することさえも、より一層強くためらわれるような気がしてしまうものなのである。
そういう自己抑制が働くことで余計にストレスを強く感じるという悪循環にも陥り易くなる。

(だから本来ならばリーダーとしてある人間こそが、民衆の声にできない思いを代弁する生きた言霊を発せねばならないのだが、いかんせん民主党というのは戦後の愚民教育の化体そのものとも言える、上から下まで選りすぐりの私利私欲ボンクラ集団であるから、そんな目鼻のついた人材はいない!
あいつら、本当に信じられないぐらいの、凄まじい薄ら馬鹿器量なしゴミクズ虫けら集団なのだ。

たぶん小沢以下、どいつもこいつもミジンコより器が小さくゾウリムシより知性が劣っている。人間性皆無というか、ほぼ確実に人類ではないのである。あまりにも土性骨がないので無脊椎動物の一種なのかもしれない。)



ならば、彼らの代わりに誰かが、不安な思いを簡明に表現できる言葉を与えてやれば良い。
できれば不安な思いのたけを外界にぶちまける一方で、自分自身にも勇気や気力を暗示づけそこに向かって誘導できるような言葉の繰り返しが良い。

そういう作用を持つ簡潔な言葉の繰り返しを唱えることで、自身の心の状態を客観視できるようになり人の精神は徐々に落ち着きを取り戻していくことができる。

つまり精神に影響をあたえるための言葉としてのマントラである。



で、ようやく話はさっきの即興「よしこの」節になるわけだ。

不安で不安で仕方が無いという人がもしこのブログを読んでいるなら、一度騙されたと思って、以下のよしこのを繰り返しつぶやいているのが良いであろう。

何回も壊れたレコードみたいに繰り返しているうちに、少しづつ不安が治まってくるはずである。

そういう作用を及ぼすように作ったからこれは当たり前なのである。




「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、揺れる大地に寄せ来る津波、壊れた国なら直さにゃ損々…」

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、壊れた原発漏れ出すヨウ素、漏れたものなら塞(ふさ)がにゃ損々…」

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、極悪小沢に売国民主、悪い奴らは吊るさにゃ損々…」

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、びしょ濡れ東北お漏らし東京、濡れたものなら乾(ほ)さなきゃ損々…」

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踏ん張る現場と見守る国民、同じ民なら支えにゃ損々…」

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、何があろうと起ころうと、生きているなら前見にゃ損々…」




僕は別段、特に予知能力などあるわけではないが、歴史の変遷を少なからず俯瞰してきた経験から言えば、国家はその國民の心が折れぬ限りなお滅びない、ということだけは断言できる。

だからもし今回の騒動で国が滅びるなら、それは地震や原発事故のせいではない、國民の心が折れたゆえであるに違いない。

しかしこの国の國民の心は、もともと石積み壁のごとく強固な在り方ではなく、編まれた竹細工の如きしなやかさを持っている。
だから曲がってもなお折れまい。



だからあなたちに向かって云うべきはこれだけだ。

「何があっても心が折れると想うな、くじけるな、絶望するな、不安なときほど大きく楽観してろ!」

そう言う態度でいられる國民が半分いれば、必ず大丈夫である。

だいたいたかがこれくらいの騒ぎでいちいち大の大人がオタオタするな!

これからもっと大きな騒動だってこの世界でいくつも起きるかもしれないのである。
ここでお前ら図体のでかいのがあっさり折れたら、この先、子どもたちの世代は生き抜けまい。

気を強くもて!







「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

返歌

「あられふる鹿島の神のあらばこそ やがて鎮まる世々の響(とよ、どよ)みも」

失うことと生きていくこと

高校二年生の赤塚涼子はその時間、商店街のコンビニで友だちと一緒だった。

会社員の父は、海からそう遠くない事業所に勤めており、外回りをして少し遅い昼食をとろうと食堂にはいったところだった。
パートの母は、海沿いの加工工場で魚をさばいている真っ最中だった。
小学校5年の弟はメインストリートを友達たちと高台の公園に向かって自転車を漕いでいた。

昨日の晩は、父と些細なことで口喧嘩した。自分の持ち物を勝手に動かした弟を叩いた。そんな自分に味方してくれず注意するばかりの母に憤りを覚えていた。

しかしそれでも家族と一緒に過ごす日々が永久に失われることなど想像もしたことはなかった。

父は立派で尊敬のできる男性、母は自分もいつかそういう女性になりたいと思わせてくれるやさしい人で、病院ではじめて弟にあった瞬間を今も憶えている。この上もなく大切な家族だった。ずっといつまでも家族だと信じていた。

しかしその瞬間はいきなりやってきた。

大地が揺れた。
コンビニの店の商品はあっという間に崩れ、慌てて友達と外に飛び出た。街全体が揺れていた。
人々が全員外の道路に出てきていた。
そのなかの大人たちが叫んだ。

「津波が来る!、高台に逃げるんだ。」

群衆に小さなパニックが生じた。みんなが慌てて高台の公園に向かって駆け出した。


食堂にいた父は、揺れから数分後、戻った店のテレビで地震速報を見てから、直ちに車で家に戻ろうとした。子供たちが心配だった。祈るような気持ちでメインストリートを家に向かった。

母は工場の人たちとともに、地震後の津波を予想して直ちに車で丘の方に避難し始めた。

父は、途中メインストリートを自転車で走る息子たちとすれ違った。車を止め子供たち呼びとめようとドアを開けた瞬間、視界にあった息子は横波にさらわれ、そして自分も波に飲み込まれた。何を考える余裕もない、一瞬だった。

母は、車で高台に向かっていた。あと少しでというところで、頭上から襲ってきた波が7人の乗ったバンを押し流した。しばらく水に浮かび流されるまま、一緒に家屋まで流されている信じられない光景に唖然とし、しかし数秒後ゆっくりと濁った色の水の中に沈んでいった。

わたしこれで死ぬんだ。そう考えるしばらくの猶予だけがあった。
子供たち、夫、両親、友達、ああそういえば成人式の時に着た着物、まだ家にあったっけ?最後に妙なことを思い出しながら彼女の意識は永久に途絶えた。

家族が死んでいった同じころ、涼子は、高台の公園にいた。あのとき通りにいた誰かが挙げた一声が、自分を含め多くの人の命を救った。たぶんあの声に促されるまま無心に逃げ出さなければ、あれこれ考えていたら、自分も眼下のあの波に飲み込まれていた。

それにしてもなんてすごい眺めだろう。自分が生まれてからずっと暮らしていた街がぜんぶ流されていく。家が船と一緒に浮かんでいる。

家?

そうだ、私の家、私の家族。えぇぇぇ?生きているんだろうか?お父さん、お母さん、亮太。。。。

起きている現実を理解できた瞬間、驚きの連続に早鐘のような鼓動を繰り返すばかりだった胸にいきなり剣が突き立てられた。もう立っていられなかった。

涼子は意識を失ってその場に崩れ落ちた。










というような突然の悲劇、家族同士の死に別れという話は、おそらく今回、無数に起きていたのだろうと思う。(もっとも上の話は一から十まで即興ででっち上げたフィクションである。一応念のため。)

昨日まで普通にあった日常は、今日何もかも非日常の風景に消え去って行った。

それはテレビや新聞の中で見たことがある出来事だけれど、決して自分の身の上には起きるはずのないこと。

ありえないことではない、しかし決して理解し得ない、受け止めえないこと。

なのに、確かに自分はほんの少し前まで持っていた全てをいま何もかも、永遠に失った。

時間はやり直せない、なくなったものは取り戻せない、私はもう二度とあの人達に会えない。




僕はそういう喪失の瞬間がどういうものかよく知っている。
現実が現実であるはずの意味をすべて失って、いきなり自分だけ非現実の世界に放り込まれたような瞬間の虚無感をよく知っている。
それは僕自身、かつて確かに味わったことのあるものだ。

現実から切り離されてしまったゆえの立つ瀬ない圧倒的な無力感と、虚無の空間にひとり取り残された自分を他人事のように見つめているもう一つの意識。
どこまでも平行線のように交わることのない、分かたれたままの二つの心。


ただいずれにせよ、そうして分かたれてしまった二つの心を再び統合しない限りは、こっちの世界に帰ってくることはできない。
いっそ壊れて分かれたままの心でいるほうが、悲しみを直視しないで済む分、幸せだったかも知れない。

でもどうも僕は自分が壊れることを許せなかったようだ。

僕は世界を他人事のように見下ろしている上空から眼下の自分に戻ることを選んで、そびえ立つ無力感を自分の中から蹴飛ばすことを結果的に選んだ。
そのあと、たぶん直面するはずの悲しみをどうにか出来る自信は何もなかったけれど、どこにも戻る場所がないように感じられてそうする以外なかったのだ。

案の定、つまらない人生を取り戻した代償に、数年の間、思い出すたびに嘔吐するような悲しみの刃を全身に突き立てられることになった。

しかしいずれにせよ、時間がすべてを押し流し、書き換えていく。
少なくとも自分が意識できる限りの想いはすべて時の経過と共に塗り替えられた。

想いは時間にだけは抗し得ない。どんな悲しみも一切を虚無に戻す時間の圧倒的無慈悲さにだけは太刀打ち出来ない。知っていたことだけれど、実際に自分でも確かめた。

それでもたぶん、意識し得ない、どこか心のずっと深い部分で、刻み込まれた傷は消えようのない跡を残している。
それをもう一度見つめる事になるのは、たぶん自分が本当に死ぬその最後の瞬間になるのだろう。

ただそれまでは封じておく。

何にせよ、生きて行くためにはどこかで悲しみを騙しやり過ごし続けるしかない人生だ。それはかなり不条理だが、しかし仕方ないことでもある。

どうせ自分の心に嘘を付くしかない現実なら、笑いながら大法螺でも吹いて盛大に騙してやれば良い。そのうち、この現実も終わる時が来る。

次に泣くのはたぶんその時でいいと思う。

いずれにせよその時は必ず来るのだ。だから今はまだ、愛した人を忘れていくことを気にしなくてもいい。

死んで行った者たちへの真の弔い方

・被災者らに喪失感 いのちの電話、熊本でも応対
2011年04月05日


 東日本大震災の被災者向けに、熊本など各地の「いのちの電話」が無料で相談に応じている。被災地から掛かってくる電話だけに、相談内容はどれも切実だという。

 相談の受け皿を被災地の外に広げようと、全国組織「日本いのちの電話連盟」と各地の組織が3月28日、電話の発信エリアを岩手と宮城、福島、茨城の4県に限定する「いのちの電話震災ダイヤル」をスタートさせた。

 熊本には4日までに28件の相談があった。避難所から携帯電話を通して、家族や知人らを亡くした喪失感のほか、将来への不安を訴える人が大半だったという。

 中には「なぜ自分だけ助かったのか」「一緒に死ねばよかった」と自らを責める人もいた。事務局は「被災者はいま気が張っているが、生活が落ち着くにつれ内向的になっていく。心のケアは今後ますます重要になる」と説明する。

 震災ダイヤルはいったん9日で終了するが、連盟事務局は「心のケアが必要な被災者は4県にとどまらない。発信エリアをどこまで広げるかなどを検討して、早く再開したい」としている。

 震災ダイヤルは、フリーダイヤル0120(556)189。受け付けは午前8時~午後10時。(石貫謹也)


http://kumanichi.com/news/local/main/20110405006.shtml






この世界に生まれてくることにも、この世界から死んで去っていくことにも意味はない。

それはただ物事が生じて、生じたから終わりがあるというだけのことでしかない。

生じる前と終わった後に何かがあると想像するのは、ただいまここに生きている人間のみがなしうる妄想である。

生まれてくる前の人間、死んだ後の人間は共にそんな事は夢想もしない。存在しない者は想いも持たない。当たり前のことである。


しかし今ここで生きている人間たちは、自身が生きている事ゆえのその特権として、まだ生まれていない者たちと、もはや死んでしまった者たちの、それぞれの形持ち得ぬ存在に対し、存在意義を付与することができる。

無論存在しない者たちに対してさえ存在意義を付与できるのであるから、当然ここに実際に存在し生きている者たちに対してすることは当たり前に行える。

それは自分自身に対してもなし得る。



私たち生きている人間が、生きていない人間も含めすべての考えられうる限りの人間存在に対して、この世界での様々な存在意義を付与することを、私たちは「物語」と呼んでいる。


つまり死んで行った者たちはもう物語を紡ぐことはない。できないのである。

だから生きている者たちは彼らに代わって彼らの物語を紡ぎ続けてやるのである。
そうして彼らの存在に存在意義を認め続けてやるのである。

それがこの世に生きている者がなすべき、死んでいった者たちへの真の弔いというものである。

たまさか自分のみ生き延びたは、ただそれをなすためであろう。

愛する者を失って自身が生きる意味を失ったと感じるのであれば、なお死んでいった者たちの存在に意義を認め続け、彼らの物語をこそ紡ぐため、生き続けよ!

彼らの存在を無に埋没させぬためにこそ、彼らを記憶するあなたが生き続けよ!

何も考えず、気が済むまでただ無心にそれだけしておれば良い。

やがて死者のための物語を紡ぐ作業が、すなわち己が生きていることを根底で支え自身の生にも意義を与えていることに気づく時が来よう。

それが供養が完全に成就した瞬間の証である。

あとは心置きなく、自分の為に生きなさい。

いずれにせよ、わずか数十年のうちに自分もまた誰かに物語を紡いでもらう側の存在となる。

凍結された陰謀シナリオ「再臨の救世主」

・サイ・ババが危篤状態、インド
2011年04月05日 16:53 発信地:ハイデラバード/インド


【4月5日 AFP】死者をよみがえらせる奇跡を起こしたとされ、世界中に数百万人の信者を持つインドの霊的指導者、サティヤ・サイ・ババ(Satya Sai Baba、85)が、危篤状態に陥り、同国南部の病院で集中治療を受けていることが5日明らかになった。

 サイ・ババは前月28日、肺と胸のうっ血によりアンドラプラデシュ(Andhra Pradesh)州プッタパルティ(Puttaparthi)の病院に入院した。同病院の4日夜の発表によると、容体は悪化しつつあり、人工呼吸器をはめて腎臓透析を受けている。

 サイ・ババの容体については、政府高官が「安定している」と発表するなど、情報が錯綜(さくそう)している。病院には安否を気遣う信者ら数千人が到着しつつある。

 信者は、いくつかの奇跡を起こしたサイ・ババを「神の生まれ変わり」と称し、あがめている。インドの首相元首相や財界トップも信者であることは有名な話だ。

 サイ・ババの財団は同国の保健・教育分野に資金援助を行っており、サイ・ババ氏が入院したのも財団が財政的な援助を行っている病院だ。(c)AFP

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2794314/7049807






電気を生み出す大本の原子力発電所が、自分のところに必要な電気がなくて制御できなくなる。

神霊の力(あるいは神通力)で死者を生き返らせたと吹聴する自称「シヴァの化身」とやらのおっさんが、西洋医学の力で透析を受け自らの延命を必死で図っている。


なんとまあ、世の中の眺めは悪意じみた冗談で出来ているものかは?と感じてしまって、こらえ切れず大笑いしてしまうしかない。

しかし、それにしてもどこまでも間抜けすぎる眺めだ。






・サティヤ・サイ・ババ(Sathya Sai Baba 1926年11月23日 - )
インドの教育者・社会奉仕者であり、インド国内では多くの要人も聖者として認める霊的指導者である。
活動本拠地としてインドのいくつかのアシュラム、病院、学校があるほか、数百万の信奉者と数百のサティヤ・サイ・ババ・センターを各国に持つ。

サイ・ババは、1926年11月23日に南インド、アーンドラ・プラデーシュ州アナンタプラム県のプッタパルティという小村の貧しいラトナーカラム家に生まれ、サティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ (Sathya Narayana Raju) と名づけられた。

1940年5月23日、サイ・ババが14歳の時、自分はシルディ・サイ・ババ(Sai Baba of Shirdi)の生まれ変わりで、シヴァとシャクティのアヴァター(化身)であり、人々の悩みを取り払うために降臨したと宣言した。

1940年10月20日に家を出て説法を始めると、不治の病を治すといった数々の奇跡が人々に知られるようになり、サイ・ババの名前は次第にインド全土に広がっていった。

1960年代末には海外にもその名が広まり、インド人やインド系の民族を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつようになった。

1990年代には、シャンカル・ダヤル・シャルマ元インド大統領や、P・V・ナラシマラオ元インド首相らがサイ・ババを表敬訪問した。日本では青山圭秀がサイ・ババを取り上げ、『理性のゆらぎ』(1993年)、『アガスティアの葉』(1994年)、『真実のサイババ』(1994年)を出版、ベストセラーとなった。

1990年代末から2000年にかけて、イギリス人デヴィッド・ベイリーらがサイ・ババのバッシングを始め、マスコミやインターネット上でさまざまな噂が飛び交い、信奉者が減少した。2000年9月、ユネスコはこれらの批判報道を憂慮し、サイ・ババの教育団体とユネスコの共催で開催予定だった教育会議への共催と参加を撤回した。日本ではパンタ笛吹がデヴィッド・ベイリーらの供述をもとにした『裸のサイババ』(2000年)を出版した。

(1990年代末から2000年にかけてサイ・ババに対する批判が高まった。

インド国外では、バサヴァ・プレマナンドやイギリス・ウェールズのピアニストのデヴィット・ベイリーらが、「サイ・ババの物質化は手品であり、青少年に性的虐待をしている。サイ・ババの病院では臓器売買が行われている」と主張した。

また、サイ・ババの住居で4人の男性の殺害事件が起こったとされていることも、批判の的になった。

2000年には、これらをもとに、ヨーロッパのマスコミがスキャンダル記事を掲載、イギリスのBBCは特集番組を放送し、さまざまな波紋を生んだ。

欧米諸国、特に北欧とオランダではデンマークの映画 "Seduced by Sai Baba" の公開以降、信奉者が減少した。

インドでも、これら一連の海外での批判を一部のマスコミが報道したため、内容を見た人々が批判に加わったが、インドの4大紙 Times of India, The Indian Express, The Hindu, The Statesmanは批判報道はしなかった。

デヴィット・ベイリーらは、サイ・ババに関する批判をユネスコに通報、 ユネスコはこれらを受けて、2000年9月に予定されていたサティヤ・サイ教育機関主催の「世界価値教育会議」への出席を急遽取りやめ、9月15日、ユネスコの公式サイトに会議欠席に関して『サイ・ババ教育会議への参加撤回についての公式見解』を発表した。

これに対し、インド前首相アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー(声明文発表当時は現職の首相)、P・N・バガワティ(元インド最高裁判所長官)、ランガナート・ミシュラ(元インド最高裁判所長官、インド人権委員会委員長)らは、サイ・ババは全く潔癖であり批判の内容は事実と反するという声明文を発表した。)

1999年には、元アメリカ大統領ビル・クリントンがプッタパルティーに訪れている。その他、ビートルズメンバーが訪れている。

2001年を迎えるとサイ・ババの活動は見直され、再び信奉者が増え始め、無料の病院や学校、水道設備の供給といったサイ・ババの社会奉仕事業が高く評価されるようになった。2001年、国連ハビタットはサイ・ババの提唱するヒューマンバリュー教育(EHV)を用いた水教育をアフリカ諸国で開始した。2004年には国連ハビタットとアジア開発銀行がサイ・ババのヒューマンバリュー教育をアジア太平洋地域の水教育に導入するプロジェクトを開始した。ユネスコは2004年2月5日、インド政府ユネスコ常任代表に2000年の教育会議の一件に関する謝罪文を提出した。

以降、2000年代には、アブドゥル・カラムインド大統領、マンモハン・シンインド首相をはじめ、インド各州の要人などが、毎年サイ・ババを表敬訪問している。アメリカではミズーリ州セントルイス市のフランシス・レイ市長が2005年9月11日を、アーカンソー州リトルロック市のジム・デイリー市長が2005年11月23日を、各市のサティヤ・サイ・ババの日に制定し、サイ・ババの人道的活動を賞賛した。

人間的価値、ヒューマン・バリューを主体とするサイ・ババの教育法も高く評価されており、カナダでは、サスカトゥーン市、エドモントン市、レジャイナ市が2006年5月28日を、ヒューマン・バリューの日に制定し、サイ・ババの教育法を推奨している。


サイ・ババは、ダルマ(正しい行い)とヴェーダを復興するために降臨したと述べ、16歳まではバーラリーラ(聖なる戯れ)を、17歳から32歳まではマヒマ(奇跡)を、その後は人類の教化を主に行い、世界をサティヤ(真理)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)、アヒンサー(非暴力)に沿って導くと語っている。

その後の奇跡の中では、ヴィブーティー(聖灰)や指輪や時計、ネックレスやフリーサイズの腕輪などを出現させることが多く行われる。

一般には、それらは手品であると指摘されているが、サティヤ・サイ・オーガニゼーションはこれを否定している。

信奉者達はしばしばサイ・ババによるさまざまな種類の眼を見張る奇跡を報告する。
それら奇跡の品々は、サイ・ババが手のひらを回転させて空中に出現させる場合、サイ・ババが河床の砂の中から取り出す場合、サイ・ババの住居から遠く離れた信奉者の家で間接的に突然出現する場合がある。
遠距離での物質化は海外においても多くの例がある。

病気や怪我を治す奇跡の場合もそれと同様に、直接病人に触れたりヴィブーティーを与えることで治す場合と、病人の夢に出てきて夢の中で触れたりヴィブーティーを与えることで間接的に治す場合がある。

サイ・ババは遠隔地で起こる奇跡について、奇跡は自分の名刺代わりであると述べており、サイ・ババの遍在性を強調している。

インドには、現在でもサイ・ババの写真からヴィブーティー(聖灰)が出続けている所や、アムリタ(甘露)が流れ続けている所もある。
これらの模様は1990年代に日本のテレビ局が取材し、全国ネットで放映された。

                  (ウィキペディア)









この世界の上流層にいる、ある利口な連中が用意していた、世界中の人間を大掛かりなペテンにはめるためのシナリオの一つに「再臨のキリスト」というものがある。

世界の殆どの人間は何らかの信仰を持っていて、おそらくはその信仰のほとんど全ては神秘という名の迷信であり、ゆえにその中核には奇跡とそれを体現できる人物の存在が欠かせない。

ならばそういう信仰を持つ馬鹿共を大々的に騙し操ることさえ出来れば、世界支配は、いや変革は容易であろう。

そのために必要なのは奇跡と奇跡を起こす道化。


その発想自体はおそらく14世紀ごろに既にあったのであろう。そう伝承されている。

ただ奇跡の演出が可能になる、あるいは情報伝播が世界中の人間に同時に作用できる、そういう技術段階に到るまで時間が相当にかかったので、それが不可能だっただけの話である。

可能になったころ、最初にやったのが、ファティマのマリア出現(1917年)。

(神の出現の)演出と、情報操作がどれくらいの影響を及ぼせるのか、その調査も兼ねていたが、驚く程の成果をあげることに成功した。

そのつぎの段階として、母ちゃんのほうを出したのだから、とうぜん息子の出現ということになる。

その演者として世界中で何人か、再臨するイエス候補者が極秘裡に用意された。


組織が選んだ候補者の一人が、このオレンジガマガエルもとい、サイ・ババだった。担当はイギリスのロッジ。

他にも年代、出身地、宗教母体を問わず、何人か予備を含め、選ばれている。

後年のサイババへのバッシング時、彼の擁護に回っていた政治指導者のうち何人かは、組織にあってサイババにまだ利用価値があると主張していた人たちでもあった。

実際、再臨の救世主を一匹用意するのは、膨大な時間と手間がかかる。それに加えて組織内部での権力抗争にも関係していた。
自分が育てた候補が正式の救世主として表舞台での人類の棟梁になれば、その外祖父とも言える自分たちにも当然の出世は約束される。こっちは12使徒だろうか?

だから組織内部の対抗派閥は、敵対派閥の有力候補者の足をひっぱるためのスキャンダルを自分が仕掛け人だと分からぬ形でそっと外部に流し、相手候補を潰そうともする。

それが一時期あまりに酷くなったので、救世主出現のシナリオは当分の間凍結ということになった。

(本当は冷戦が終わったので、出す必要がなくなったことが一番大きい。表の政治家の連中の連帯のせいで裏の組織の連中の思惑が全部潰されたという意味では、実に痛快なことではあったが。)

自分が救世主になれないことを知ってサイババはさぞやる気を失ったことであったろう。まあしったこっちゃない。

だいたい見た目が三頭身ガマガエルなのに、救世主とかどんだけ図々しいのかと想う。(自分で鏡見て断れよ、サイババ。)

僕なら、断然プロレスラーのブルーザー・ブロディ(故人、本名フランク・ゴーディッシュ)をこそ再臨のキリストに仕立て上げるべきだったと想う。

実際のイエスは小柄で貧相な男だったが、ブロディはまさに雲を突くような大男でしかも宗教画から飛び出てきたようにイメージぴったしのユダヤ人でもあったのだ。

(返す返すもブロディとジャンボ鶴田の死が悔やまれてならない。

一度は裏切り者のプエルトリコ人の凶刃に倒れるも、3日目に再び死から蘇り強豪外国人12使徒を引き連れ馬場全日本のリングに乱入、その場で宿命のライバル ジャンボ鶴田に三冠戦挑戦をアピールするキリスト。

そうして実現した史上最大の三冠戦「ハルマゲドン・カップ」が世界中のアホども数十億人に向けて衛星中継されるのを見てみたかった。

試合では血まみれにされ絶対絶命、息も絶え絶えだったキリストが、突如リング上空に出現した聖母マリアの声援を受け立ち上がり、大逆転勝利を収め三冠王座を獲得、十字架の形のコーナーポストに寄りかかって「アイ アム ザ ジーザス!」と宣言するのである。

ちなみにバックコーラスは全裸の劇団四季女性団員か、一糸まとわぬ宝塚星組、あるいは生まれたまんまのAKB48。

その神々しい瞬間の、世界中のどよめきを見てみたかった。

その時はよく冷えたサッポロ黒ラベル用意して、聖書をジョッキ・コースター替わりにでん六の柿ピー食べながら観るつもりだったのに、、、、、、、。)

絶対にブロディをイエスに仕立て上げるべきだったのだ。

本当にあれぐらい世紀のイカサマ奇跡を演出する大舞台で見栄えするキリスト役はいなかった。実に惜しい人物をなくしたものである。

(それをあのデブプエルトリカンめ。)





まあいずれにせよ、それに比べりゃ、サイババ、あんた相当惨めだな?

(もっと惨めなのが、こんなので理性が揺らいだ馬鹿どもとか?本当、ちり紙みたく薄っぺらな理性である。)

超能力あるって設定だったんだから、死に様は誰にも見られないまま屍解(死体ごと消滅して昇天するって奴ですな。)したってぐらいの演出はするべきだったと想うよ。

まあ器量相応の最後かなと想う。

どうせ代わりに使える手駒は他にもいるからどうでもいい。救世主なんぞあんな物、割り箸と一緒だ。使い終わっても神(再生紙)にするぐらいのものである。

ポークカレー作りにおける個人的逡巡

市販のカレールーを使って美味しいカレーを作る。

そういうニュアンスの記事をネットでよく見かける。

???

すでに味の大枠が設定されている市販のカレールーを使って、なお不味いカレーを作れるのだとすれば、それは逆の意味である種のずぬけた才覚なのかもしれない。

もっとも美味しいにも「普通に美味しい」と「飛び抜けて美味しい」の差はある。
ある一定の文法に従ってじっくり手間暇かければ、確実に味わいの差は出てくる。

ただそれが投じられた資金と手間と時間に見合うだけの差であるのかどうかはわからない。

思うにたぶん割に合っていないはずである。

例えば僕は一回カレーを仕込むとき、だいたい大きな玉ねぎを6個は使う。それをすべて切って炒め、俗にいうあめ色玉ねぎを作る。
切って、しんなりとするまで炒めてから、さらに弱火で一時間も炒め、完全に水分を飛ばした玉ねぎで出来た飴みたいな固形物を作る。

料理の本にはこれがきちんとできれば、カレーのスープ素地の9割は成功であり、スープの味がよければどういうカレールーをそこに放り込んでも美味しいカレーになるということが言われている。

しかしそれほどの効果が本当に上がっているのかは、正直自信がない。

にもかかわらず毎度毎度この上なく面倒くさい作業を手抜きせず行っているのは、そうしなければ美味しくならない!という強迫観念に逆らえないからでもある。

実際、カレーを仕込んでいるときの僕は殺気立っている。仕込む最中に邪魔する存在が闖入してくると「ぶっ殺す!」と半ば本気で思ってしまう。

特にあめ色玉ねぎを作る作業に没頭しているときの僕は、飢えたアムールトラ並に凶暴なる情熱に突き動かされている気がする。

この神聖にして不可侵の作業を邪魔するものはたとえ愛する肉親だろうが決して許さない!
そこには宗教的厳格さ、あるいは狂信さえまとわりついているに違いない。

無論そこまで一袋150円ぐらいの玉ねぎの加工に情熱をたぎらせるのだから、肉にも妥協はしたくない。

とは言え、しょせんステゥー(シチュー=煮込み料理をちょっとおしゃれに表記してみました。)などというのは、焼いただけでは硬い肉を何とか美味しくするための余り物料理なのであるから、それほど高価な肉が必要なわけでもない。

ただ牛肉、そのバラか肩ロース、もしくはすじ肉でもあれば良い。ただ量はそれなりに必要で、12皿分で800グラムは欲しい。
それなりに普通の部位ならそのまま塩コショウでソテーし焦げ目をつけるし(表面に粉を降ることはあまり意味が無い)、すじ肉であれば下茹でし臭み抜きをしたあとで生姜ニンニク唐辛子で香りづけした脂で炒める。

炒める際には牛脂を使う。

まあ焼き色と煮込み過程での縮小分を勘案した大きさに気を使うぐらいで、あとは特に難しい作業ではない。

ただ表面を焼き固めたあとで少し肉を休ませる(放置して冷やす)という作業は大切に想う。


あとはローリエやローズマリー、タイムなどの香草と、スープベースの味わいを調整する隠し味に工夫がいるぐらいで、それらを放り込んで弱火で肉が柔らかくなるまで二時間以上煮こめば、それ以上の手間はあまりかからない。

ちなみに隠し味は固形チキンブイヨン、トマト水煮缶、ウスターソース、砂糖、唐辛子、にんにく、しょうがのようなものである。まあ割と常識の範疇だ。





でである。


たとえば、経済的な都合を含め、もろもろの事情が複雑に絡んだ挙句、今僕の手元にあるのは、カレール一種類(通常は二種類ブレンドしている)、豚ばら肉ブロック(これも殆ど使ったことがない)、玉ねぎがわずか二個、トマト水煮一缶だけだとする。

あとはローリエ、唐辛子、ウスターソース、生姜、ニンニク、ついでにジャガイモがある。(もう久しくカレーにジャガイモを入れたことがない。これを今更用いてカレーを作っていいものやら、もう一晩くらいじっくり考えたい気分だ。)

明らかに僕におけるカレー作りのルールを踏み外している。外しているがこの材料で作るしかないのだ。

「漢がないものねだりをするな!今自らの手持ちにあるものだけを賢明に用い、なしうる限りの最善をつくすのだ!フォースとともにあらんことを!」

どこか脳の奥底でカレーの神がそうささやいている気がする。


「しかし、、、、、、。出来るのか自分、やれるのかこの材料で?」

カレーの神直々の託宣がくだったあとでさえなお大いなる葛藤と煩悶が胸中を波立たせる。

「神聖にして犯すべからざるカレー作りの律法を根底から踏みにじってまで、カレーを作ることは許されることなのだろうか?」

「まさか、自分がこんなわずかな玉ねぎだけで、しかも豚バラ肉などでカレーを仕込むはめになろうとは?
神よ、なぜこのような試練を私にお与えになられるのですか?」

「いや、やるしかないのだ。男は度胸、何でも試してみるのさ!」

ちょっと脳裏に茨の冠かぶって青いつなぎ姿でベンチに腰掛けている阿部寛の声が響き渡った気がした。

「そうか、上田教授の中の人、隠れホモ切支丹でイケメンのあんたが言うんならやるしかないんだよな?ドーンと来い豚バラカレー!かぁ。
、、、うん。俺やってみるよ!、、あんた生粋のホモだそうだけど、結構いい人だな?」



などという内面世界での超時空妄想会話を経て、ようやく決心が固まった。

やるしかないのである。天から与えられ手元にあるものだけを賢明に上手に使うのだ。それが男だ、おれは男だ。漢はカレー作り(市販ルーだけど)に命をかけてなんぼなのである!



そういうわけで、僕はいまポークカレーを作っている。

いま仕込んで、食うのは明日の晩だ。

材料のレベル差にもかかわらず、基本かける手間は大きくは異ならない。非常に不条理なことだと想う。明らかに割りに合わない作業で一種の苦役や修行のような気さえする。

しかしカレーに豚肉とは、思えば大きく道を踏み外していつのまにやら遠くまで来てしまったものである。近所を歩いていたらいつの間にか新大陸に上陸してしまったような気分だ。人間は時と共に否応なく変わっていくものだというが、僕もやはり後戻りできないまま変わりながら生きて行くしかないのだ。

正直変わっていくしかない自分がちょっと切ない。あの日にかえりたい。

まあでもたぶんそれほどひどいものにはなるまい。仮に失敗しても量も普段の半分しか作らないし、それほどの損失にはならない。

と、仕込みに入ってしまった今なお、万が一失敗したときの予防線を必死に心のなかに張り巡らせている。そんな自分は本当に意気地と決断力のない男だと感じないでもない。



・カレー製作時のBGM

http://www.youtube.com/watch?v=SNWs435K9z8&feature=related