・鹿島神宮の大鳥居に被害
11日の地震で鹿島神宮の鳥居が倒壊したり五浦海岸の六角堂が流されるなど被害が出ています。
鹿嶋市の鹿島神宮の境内の表参道にある高さ10メートル、重さおよそ100トンの石造りの大鳥居は、11日の地震で根本から折れて倒壊し粉々に壊れてしました。
また、参道にならぶ石灯ろう60基も崩れたほか、国の重要文化財に指定されている本殿の屋根に取り付けられた千木と呼ばれる装飾の部分も外れる被害を受けました。
近くで土産店を営む主人は「どーんという大きな音とともに倒れました。歴史ある神宮の鳥居ですから残念です」と話していました。
また、茨城県北茨城市にある「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」も被害を受けました。
六角堂は、明治時代、日本画の横山大観らを指導した岡倉天心が活動拠点として設計した建物で、国の登録有形文化財に指定されています。
太平洋に面した断崖に立つ鮮やかな朱色の建物は観光名所として人気を集めていましたが、津波の被害を受け建物ごと海に流出しあとかたもなくなってしまい、人気を集めた景勝の地は姿を変えてしまいました。
2011年03月18日 00時33分
http://www.nhk.or.jp/lnews/mito/1074722672.html
・要石(かなめいし)
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮と千葉県香取市の香取神宮にあり、地震を鎮めているとされる、大部分が地中に埋まった霊石。
取神宮の要石の地上部分は丸いが、鹿島神宮の要石の地上部分は凹んでいる。
地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえているという。あるいは貫いている、あるいは打ち殺した・刺し殺したともいう。
そのためこれらの地域には大地震がないという。
ただし、大鯰(または竜)は日本全土に渡る、あるいは日本を取り囲んでいるともいい、護国の役割もある。
なお、鹿島神宮と香取神宮は、日本で古来から神宮を名乗っていたたった3社のうち2社であり(もう1社は伊勢神宮)、重要性がうかがえる。
鹿島神宮の要石は大鯰の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているという。あるいは、2つの要石は地中で繋がっているという。
要石を打ち下ろし地震を鎮めたのは、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(表記は各種あるが鹿島神社に倣う。通称鹿島様)だといわれる。
ただし記紀にそのような記述はなく、後代の付与である。
武甕槌大神は武神・剣神であるため、要石はしばしば剣にたとえられ、石剣と言うことがある。鯰絵では、大鯰を踏みつける姿や、剣を振り下ろす姿がよく描かれる。
万葉集には「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」と詠われている。
江戸時代には、この歌を紙に書いて3回唱えて門に張れば、地震の被害を避けられると言われた。
(ウィキペディア)
今回の大地震で鹿島神宮の鳥居が壊れたというのは決して凶兆ではない。
むしろこれは護国の神であらせられる鹿島の武甕槌大神(たけみかづち)が封印を自ら断ち切られて乱れた世を糺すためご出座になられたということであり、日本国にとっての大吉兆と観ねばならない。
思うに、悪徳金権政治家の小沢一郎や詐欺で政権を奪取した民主党のような、まさに魂を外国に売り渡したような売国奴そのものに連中が、さかんに外患を誘いこみ、あろうことかこの国を丸ごと亡き者にしようと狼藉の限りを尽くしていたのを、ついぞ見かねてのことでもあったのだろう。
日本国に敵対し世を乱し滅ぼさんとする大悪を誅するためには、末代まで国が揺れぬようにじっと大地を抑えつけるという大役を放り出してでも、大神自らがお立ちにならねばならなかったのであろう。
また鹿島の神がご不在である間は、古の国譲りの黙契に基づいて、諏訪神社におわします建御名方神が国土を鎮守されることにもなるのであろう。
これこそまさに「すわっ、一大事」であるが、逆にだからこそ心配は要らない。
諏訪におわします建御名方神さまが此度の震災からもきっとお守り下さることであろう。「みかぼし、みかぼし」
、、、とまあ、こう云うことは、たとえ嘘半分でもそうだと信じ心を落ち着かせることこそが大切なのである。
ところでかって情勢不穏先行き不透明であった幕末の折「ええじゃないか」という大衆運動が起きたことがあった。
こんなのだ。
・ええじゃないか
日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から翌明治元年(1868年)4月にかけて、東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった社会現象である。
天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ、という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。
その目的は定かでない。
囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。
これに対し、討幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという説もある。
江戸のバブル期後の抑圧された世相の打ち壊しを避けるために幕府が仕掛けた「ガス抜き」であったという説もある。
本来の意図が何であったにせよ、卑猥な歌詞などもあったところを見ると、多くの者はただブームに乗って楽しく騒いでいただけのようでもある。
岩倉具視の岩倉公実記によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。
八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。
また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。
歌詞は各地で作られ、例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)などがあった。
(ウィキペディア)
それで今回の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故の騒ぎにおいては、政府の無能さのあまり一向に事態の先行きが見えず、「ええじゃないか!」というよりはまさに「えらいこっちゃ」という気分しかしない。
なので今回はこういう感じの戯れ歌を余興で作ってみた。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、揺れる大地に寄せ来る津波、壊れたものなら直さにゃ損々…」
ちなみにオリジナルはこういうものである。
・「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」
徳島の阿波踊りの「よしこの」の一節。
・よしこの‐ぶし 【よしこの節】
江戸後期に流行した俗謡。潮来節(いたこぶし)から出たといわれ、七・七・七・五の4句の歌詞で、内容・形式は都々逸(どどいつ)に似る。曲名は囃子詞(はやしことば)の一節から。
で、ここで僕が何を考えているかというと、この際だから「ええじゃないか」ならぬ、平成「えらいこっちゃ」運動でも大々的に起きて、世直し運動につながると面白いかなと思っていたのだ。
でである。
古来、この国で云われるところの言霊というのは、人のこらえきれぬ想い、情念がこぼれでて自ずと発せられる言葉のことをこそ言っていたのだと思うのだ。
今回、多くの人が被災し、ばかりか家族を失った。
耐え切れぬ不条理の前に生きる気力を丸ごと奪われた多くの人がいる。
被災地や福島原発では、先行きの見えない作業に従事者たちの疲労も限界に近付いている。
誰かのためにという必死の思いで切れる限界いっぱいまで張られた緊張の糸は危うい状態にある。
そして政府や東電の無能無策に多くの国民が強いストレスと不安を感じ始めている。
あとほんの一押し何かとてもショッキングな知らせがあれば、たちまち人心は流言飛語の渦に翻弄されかねない寸前にいる。
正直、人々はいまや悲しみと不安がゴチャまぜになった状態で、思いを内側に貯めこむばかりで、そうした思いをどういう言葉に代えて吐露したらいいものやら途方にくれ、おかげで自分たちの正常な精神状態を維持するのも一苦労という有様だ。
こういう時に限って、人というのはなぜか余計に息をひそめて、思いのたけをぶちまけて言葉を発することさえも、より一層強くためらわれるような気がしてしまうものなのである。
そういう自己抑制が働くことで余計にストレスを強く感じるという悪循環にも陥り易くなる。
(だから本来ならばリーダーとしてある人間こそが、民衆の声にできない思いを代弁する生きた言霊を発せねばならないのだが、いかんせん民主党というのは戦後の愚民教育の化体そのものとも言える、上から下まで選りすぐりの私利私欲ボンクラ集団であるから、そんな目鼻のついた人材はいない!
あいつら、本当に信じられないぐらいの、凄まじい薄ら馬鹿器量なしゴミクズ虫けら集団なのだ。
たぶん小沢以下、どいつもこいつもミジンコより器が小さくゾウリムシより知性が劣っている。人間性皆無というか、ほぼ確実に人類ではないのである。あまりにも土性骨がないので無脊椎動物の一種なのかもしれない。)
ならば、彼らの代わりに誰かが、不安な思いを簡明に表現できる言葉を与えてやれば良い。
できれば不安な思いのたけを外界にぶちまける一方で、自分自身にも勇気や気力を暗示づけそこに向かって誘導できるような言葉の繰り返しが良い。
そういう作用を持つ簡潔な言葉の繰り返しを唱えることで、自身の心の状態を客観視できるようになり人の精神は徐々に落ち着きを取り戻していくことができる。
つまり精神に影響をあたえるための言葉としてのマントラである。
で、ようやく話はさっきの即興「よしこの」節になるわけだ。
不安で不安で仕方が無いという人がもしこのブログを読んでいるなら、一度騙されたと思って、以下のよしこのを繰り返しつぶやいているのが良いであろう。
何回も壊れたレコードみたいに繰り返しているうちに、少しづつ不安が治まってくるはずである。
そういう作用を及ぼすように作ったからこれは当たり前なのである。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、揺れる大地に寄せ来る津波、壊れた国なら直さにゃ損々…」
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、壊れた原発漏れ出すヨウ素、漏れたものなら塞(ふさ)がにゃ損々…」
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、極悪小沢に売国民主、悪い奴らは吊るさにゃ損々…」
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、びしょ濡れ東北お漏らし東京、濡れたものなら乾(ほ)さなきゃ損々…」
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踏ん張る現場と見守る国民、同じ民なら支えにゃ損々…」
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、何があろうと起ころうと、生きているなら前見にゃ損々…」
僕は別段、特に予知能力などあるわけではないが、歴史の変遷を少なからず俯瞰してきた経験から言えば、国家はその國民の心が折れぬ限りなお滅びない、ということだけは断言できる。
だからもし今回の騒動で国が滅びるなら、それは地震や原発事故のせいではない、國民の心が折れたゆえであるに違いない。
しかしこの国の國民の心は、もともと石積み壁のごとく強固な在り方ではなく、編まれた竹細工の如きしなやかさを持っている。
だから曲がってもなお折れまい。
だからあなたちに向かって云うべきはこれだけだ。
「何があっても心が折れると想うな、くじけるな、絶望するな、不安なときほど大きく楽観してろ!」
そう言う態度でいられる國民が半分いれば、必ず大丈夫である。
だいたいたかがこれくらいの騒ぎでいちいち大の大人がオタオタするな!
これからもっと大きな騒動だってこの世界でいくつも起きるかもしれないのである。
ここでお前ら図体のでかいのがあっさり折れたら、この先、子どもたちの世代は生き抜けまい。
気を強くもて!
「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」
返歌
「あられふる鹿島の神のあらばこそ やがて鎮まる世々の響(とよ、どよ)みも」
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