2011年4月6日水曜日

ポークカレー作りにおける個人的逡巡

市販のカレールーを使って美味しいカレーを作る。

そういうニュアンスの記事をネットでよく見かける。

???

すでに味の大枠が設定されている市販のカレールーを使って、なお不味いカレーを作れるのだとすれば、それは逆の意味である種のずぬけた才覚なのかもしれない。

もっとも美味しいにも「普通に美味しい」と「飛び抜けて美味しい」の差はある。
ある一定の文法に従ってじっくり手間暇かければ、確実に味わいの差は出てくる。

ただそれが投じられた資金と手間と時間に見合うだけの差であるのかどうかはわからない。

思うにたぶん割に合っていないはずである。

例えば僕は一回カレーを仕込むとき、だいたい大きな玉ねぎを6個は使う。それをすべて切って炒め、俗にいうあめ色玉ねぎを作る。
切って、しんなりとするまで炒めてから、さらに弱火で一時間も炒め、完全に水分を飛ばした玉ねぎで出来た飴みたいな固形物を作る。

料理の本にはこれがきちんとできれば、カレーのスープ素地の9割は成功であり、スープの味がよければどういうカレールーをそこに放り込んでも美味しいカレーになるということが言われている。

しかしそれほどの効果が本当に上がっているのかは、正直自信がない。

にもかかわらず毎度毎度この上なく面倒くさい作業を手抜きせず行っているのは、そうしなければ美味しくならない!という強迫観念に逆らえないからでもある。

実際、カレーを仕込んでいるときの僕は殺気立っている。仕込む最中に邪魔する存在が闖入してくると「ぶっ殺す!」と半ば本気で思ってしまう。

特にあめ色玉ねぎを作る作業に没頭しているときの僕は、飢えたアムールトラ並に凶暴なる情熱に突き動かされている気がする。

この神聖にして不可侵の作業を邪魔するものはたとえ愛する肉親だろうが決して許さない!
そこには宗教的厳格さ、あるいは狂信さえまとわりついているに違いない。

無論そこまで一袋150円ぐらいの玉ねぎの加工に情熱をたぎらせるのだから、肉にも妥協はしたくない。

とは言え、しょせんステゥー(シチュー=煮込み料理をちょっとおしゃれに表記してみました。)などというのは、焼いただけでは硬い肉を何とか美味しくするための余り物料理なのであるから、それほど高価な肉が必要なわけでもない。

ただ牛肉、そのバラか肩ロース、もしくはすじ肉でもあれば良い。ただ量はそれなりに必要で、12皿分で800グラムは欲しい。
それなりに普通の部位ならそのまま塩コショウでソテーし焦げ目をつけるし(表面に粉を降ることはあまり意味が無い)、すじ肉であれば下茹でし臭み抜きをしたあとで生姜ニンニク唐辛子で香りづけした脂で炒める。

炒める際には牛脂を使う。

まあ焼き色と煮込み過程での縮小分を勘案した大きさに気を使うぐらいで、あとは特に難しい作業ではない。

ただ表面を焼き固めたあとで少し肉を休ませる(放置して冷やす)という作業は大切に想う。


あとはローリエやローズマリー、タイムなどの香草と、スープベースの味わいを調整する隠し味に工夫がいるぐらいで、それらを放り込んで弱火で肉が柔らかくなるまで二時間以上煮こめば、それ以上の手間はあまりかからない。

ちなみに隠し味は固形チキンブイヨン、トマト水煮缶、ウスターソース、砂糖、唐辛子、にんにく、しょうがのようなものである。まあ割と常識の範疇だ。





でである。


たとえば、経済的な都合を含め、もろもろの事情が複雑に絡んだ挙句、今僕の手元にあるのは、カレール一種類(通常は二種類ブレンドしている)、豚ばら肉ブロック(これも殆ど使ったことがない)、玉ねぎがわずか二個、トマト水煮一缶だけだとする。

あとはローリエ、唐辛子、ウスターソース、生姜、ニンニク、ついでにジャガイモがある。(もう久しくカレーにジャガイモを入れたことがない。これを今更用いてカレーを作っていいものやら、もう一晩くらいじっくり考えたい気分だ。)

明らかに僕におけるカレー作りのルールを踏み外している。外しているがこの材料で作るしかないのだ。

「漢がないものねだりをするな!今自らの手持ちにあるものだけを賢明に用い、なしうる限りの最善をつくすのだ!フォースとともにあらんことを!」

どこか脳の奥底でカレーの神がそうささやいている気がする。


「しかし、、、、、、。出来るのか自分、やれるのかこの材料で?」

カレーの神直々の託宣がくだったあとでさえなお大いなる葛藤と煩悶が胸中を波立たせる。

「神聖にして犯すべからざるカレー作りの律法を根底から踏みにじってまで、カレーを作ることは許されることなのだろうか?」

「まさか、自分がこんなわずかな玉ねぎだけで、しかも豚バラ肉などでカレーを仕込むはめになろうとは?
神よ、なぜこのような試練を私にお与えになられるのですか?」

「いや、やるしかないのだ。男は度胸、何でも試してみるのさ!」

ちょっと脳裏に茨の冠かぶって青いつなぎ姿でベンチに腰掛けている阿部寛の声が響き渡った気がした。

「そうか、上田教授の中の人、隠れホモ切支丹でイケメンのあんたが言うんならやるしかないんだよな?ドーンと来い豚バラカレー!かぁ。
、、、うん。俺やってみるよ!、、あんた生粋のホモだそうだけど、結構いい人だな?」



などという内面世界での超時空妄想会話を経て、ようやく決心が固まった。

やるしかないのである。天から与えられ手元にあるものだけを賢明に上手に使うのだ。それが男だ、おれは男だ。漢はカレー作り(市販ルーだけど)に命をかけてなんぼなのである!



そういうわけで、僕はいまポークカレーを作っている。

いま仕込んで、食うのは明日の晩だ。

材料のレベル差にもかかわらず、基本かける手間は大きくは異ならない。非常に不条理なことだと想う。明らかに割りに合わない作業で一種の苦役や修行のような気さえする。

しかしカレーに豚肉とは、思えば大きく道を踏み外していつのまにやら遠くまで来てしまったものである。近所を歩いていたらいつの間にか新大陸に上陸してしまったような気分だ。人間は時と共に否応なく変わっていくものだというが、僕もやはり後戻りできないまま変わりながら生きて行くしかないのだ。

正直変わっていくしかない自分がちょっと切ない。あの日にかえりたい。

まあでもたぶんそれほどひどいものにはなるまい。仮に失敗しても量も普段の半分しか作らないし、それほどの損失にはならない。

と、仕込みに入ってしまった今なお、万が一失敗したときの予防線を必死に心のなかに張り巡らせている。そんな自分は本当に意気地と決断力のない男だと感じないでもない。



・カレー製作時のBGM

http://www.youtube.com/watch?v=SNWs435K9z8&feature=related

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