2011年4月6日水曜日

壮士ひとたび去ってまた

・「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ―定年前に自ら志願
時事通信 3月16日(水)4時56分配信

福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 
会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 
男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。

話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
 
東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。

「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 
男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。

出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。 

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date1&k=2011031600093







・現場で頑張っているある技術者の声

80 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/03/15(火) 20:32:56.72 ID:uA1h3bnp0 [1/3]
彼を誇りに思う


484 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:28:09.94 ID:4H+avxtM0
>>480
業者の責任者だったので、担当現場の作業員が全員が退避するまで中に居ました。
爆発したのは、反応で出来る水素が、逃した時に爆発したものと思われます。

原子炉内の圧力を下げる措置中だったと思われます。
PCV D/W内を海水で満たせば、確実に温度を冷やし、溶融を防げると思いますが、
各種のセンサーを殺す事となり、監視が盲状態になります。

また、海水を使えば、廃炉が決定的になると思います。

485 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:32:29.23 ID:QA+GTWha0
>>484
制御できなくなっちゃうってことか・・・
まあ確実に大丈夫ってことみたいだし周りも避難してるし
海水入れれば最悪の事態は免れるようで安心した
とりあえずゆっくり休んでくださいな

486 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:34:27.38 ID:4H+avxtM0
>>485
やり残した事があるんで、数日後に戻ります。
残してきた仲間にも、数日後に帰ると宣言して帰ってきました。

488 :名無しさん@十一周年:2011/03/12(土) 21:45:24.89 ID:4H+avxtM0
>>487
すでに被曝しています。
ただ、やられっぱなしってのは、技術者として、男として
なんだかなぁ・・・・・って感じなので、戻ります。
残ってる2、3、4号機を直す、一端を担いに行きます。

(引用元:http://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-7947.html)







どのような社会も、いかなるシステムも、それを作ったのは神ではなく人間であり、だからそこに何かの脅威によって致命的な事態が生じたとき、そしてもはや打つべき手がこちら側に殆ど残されていない状況に陥ったとき、最後にそこに立ち塞がるべきはただ意志を持ち合わせた強靭な人格それひとつなのである。

あるいは怯懦な人格しか持ち合わせぬ傍観者どもはこういうかもしれない。

多くの人間の叡智と経験によって作られた精密なシステムさえ、強大な脅威の前に完膚なきまでに打ち倒されようとしているのに、いまさらたった一人の、それも強靭な意志以外なにも持ち合わせのない非力な人間が立ち向かったところで何が出来る?

おそらく事実はそのクズ同然の奴が指摘する通りなのだろう。たぶん成功する確率はほとんどない。自分は無残に打ちのめされ敗北感のうちに倒れていくしかないに違いない。

しかし、それでもなお、誰かがやらねば、誰かがなけなしの勇気と挟持を振り絞ってでも強大な敵にたちむかわなければ、その瞬間全ては決まってしまう。もはや残された人々にも未来は残されていない。

一粒の麦もし地に落ちなば

かつて古代の賢哲はそういって自らの死の運命に向かって歩を進めたという。

おそらく彼は知っていた。

自分の弱さや臆病さ、それは残される人々となにも変わらない。
しかし私にも彼らにも人であるがゆえの隠し持たれた未だ目覚めざる内なる神の意志=なけなしの勇気と挟持は必ずや斉しくあるでろう。

いま自分がなけなしの勇気と挟持を振り絞ったところで、それが運命の強大な力をはねのけるだけのものになるとは思えない。
だから自分はただ無力に打ちひしがれ虚しく倒れるに違いない。

しかしそれでももし、自分がこの瞬間、自らの敗北と引換にでも、人の内に、誰しものなかに斉しく隠し置かれているはずの神の意志の輝きを示しうるのであれば、敗北してなお人々に残していけるもの、未来への希望の灯の続くことだけは期待できる。

だからその可能性にかける。かけてこの生命をいま放り出す。


結果、彼は死んだ。ただ彼の思惑、彼の勇気と挟持、すなわち人のうちに眠る、未だ目覚めざる神の意志だけは、彼の代わりに、多くの人々の中で蘇った。

すなわちこれこそが真の意味における神の復活ということなのである。

しかし彼の弟子を僭称するばかりの愚かなるグズ共は、その真意を一向に解することもなく、ただ死人が本当に墓場から復活したと信じ、そう信じることこそが忠実なる神への信仰なのであると本気で信じてさえいる有様である。

これではイエスの奴も無念を抱え続けるしかない。

そして事実、奴を神と仰ぎ観る愚民の集会=教会は、その神なる奴の真意さえ何も理解していない、それとは別の何かの妄想を延々信じるだけのさらなる馬鹿を再生産するだけの機関となり果てている。
たしかにこれでは救われるはずもない。だから奴らは滅びる。

もっとも、イエスが示し得たような手本は、奴以前にも奴以後にも、奴の存在を知っていようが知るまいが、どころか基本的に奴とはほぼ無関係に、人間社会の中にひろく存在し続けている。

それどころかある程度高度にまで構築された社会においては、それが半ば職業化さえしている。

たとえば警官、たとえば消防士、例えば自衛官、そしてたとえばこの定年間際の名もなきただの会社員。

彼らも元を正せば私たちと同じ、普通の人間だ。常に弱さや臆病さを自覚しながらそれでも必死に勇気と挟持を振り絞って社会の手本にならんと、その職務に殉じんと覚悟を決めている。

彼らは、いわば一面識もない私たちの平和と幸福のために、もっとも大切であるはずの自分の命さえさし出して、そこに形なき人格の力、輝ける神の意志を示し残そうとしてくれている。

思うに彼らは自らの死と引換にでも内なる神の意志を人々に示そうと振舞う瞬間、確かにこの地上に顕現したまぎれもない神の化体、化身であるに違いない。

彼らは自分の命を惜しまず捨てようとすることで、却って自らの中にある神の意志を目覚めさせ、真なる神の化身としてあることができる。

そうすることで、多くの人々の心の中にも斉しくある、未だ目覚めざる神の意志をも目覚めさせようとする。

それは紛れもなく深い眠りの中、怯懦にまどろむ人々の心を救うことなのであり、つまり人の心によって出来上がったこの世界そのものを救うことに他ならず、だから彼らは真の意味で救世主と呼ばれるにふさわしい。

でである。実際のところ、そうやって自己犠牲的に死んでいく人々が神の化身であろうが、救世主であろうが、それはどうでもいい。

真に大切な事は、彼らは私たちと同じ弱さや臆病さを抱え持つ人間であり、にもかかわらず彼らと私たちをなお天と地に分け隔てるものがあるのだとすれば、それは彼らの示し得た、死をも超克するなけなしの勇気と挟持だけなのだという点にある。

いざというとき、彼らはなけなしの勇気と挟持を必死に振り絞って死の運命を前に剣を高く振りかざせた。

逆にそうでない人間は、剣を投げ捨て自分だけは助かろうと逃げるか、みっともなくも敵に命乞いするばかりなのであろう。

ではなぜ同じ神の意志を斉しく持ち合わせながら、なお人は天と地に分け隔てられるのであろう?

おそらくここで考えうる答えはこういうことだ。

彼ら神の化身、救世主になり得る人格とは、人の心の皆斉しいことを人生のどこかでしかと気づいた人格なのであり、だから他者の中に自分と同じ意志が受け継がれていくことを信じており、そこに希望を委ねることが正しいことを知っている。

だから彼らは自分の死が自分という存在すべての死でないことを理解している。否、死ぬことで却って永遠に残していけるものがあることを知っている。

自身が死ぬことで彼の人格は多くの人々の中に受け継がれ、その死に様を記憶する人がある限りどこまでも永遠に生き続けていく。

かくしてなけなしの勇気と挟持を振り絞って死に立ち向かった彼らは天上で仰ぎ見られる永遠の星となった。

私利私欲と怯懦な人格のままの人々は、自らのうちにも彼と斉しい神の意志が眠っていることに気づくこともないまま、命を長く保ち守るつもりで却ってその身もろとも地上の泥となり果てる。

まるで宝を抱えていながらその真の価値を知らぬまま死んでいく乞食そのもの。




今回の東日本大震災、とくに福島原発事故にまつろう様々な人間模様を俯瞰するほどに、人の人格の力の様々であることを否応なく気付かされる。

しかしこの未曾有に危難に際してなお、内なる神の意志の輝きを確かに見せつけ得た崇高な人格もあった。

たとえばこの名もなき会社員、殉職して行った多くの無名職業人たち。

その一方で、自分の命や保身と引換に末代までの汚名や、己の魂深く長く久しい罪悪をも刻むことになった著名な人々もいる。

彼らは決して自らのうちに眠る神の意志を目覚めさせること能わないまま虚しく死んでいくしかない、生ける泥クズのような生き物である。

どれだけ社会的地位があろうと、どれほど名誉があり金を持ち着飾り偉そうな言葉を吐こうが、しょせんゴミはゴミだ。その人格には鉛ほどの価値もない。

当然、この世の名もなき神の化身や救世主達に比べるべくもない。




最後になりますが、この悲壮な覚悟をなされた名もなき会社員の方、そしてその意志を気丈に受け止められたご家族の方々に申し上げます。

僕にはいま貴方達のためにして差し上げられることが殆ど無いことをどうかお許しください。ただ同じ思いを持ってその心に寄り添うことしかできない自分の無力を強く恥じています。

同時に貴方達の意志が必ずや意味あるものとして結実すること、決して虚しく打ち捨てられる事にならぬことを信じます。
貴方達の示してくれた神の意志が多くの人々の中にあるそれをも目覚めさせる契機となることを信じます。
自身の命を放り投げる覚悟を決めた貴方が、再びその生命以上のものを大切なご家族の元へ持ち帰られることを信じ願います。

そして僕以外の多くの声なき声もまた、貴方達と共にあることを信じます。

だからどうかご無事でお戻りください!待っています!







参考:

・風蕭蕭として易水寒し(かぜしょうしょうとしてえきすいさむし)
 
春秋戦国の時代には、敵国の王侯を刺殺するために、一本の匕首(短剣)に全てをかけて敵地に入り込む刺客が、ことに多かった。その最も著名なのが荊軻(けいか)である。
 
荊軻は衞の生まれだったが、祖国に用いられず、国々を遍歴して燕に行き、そこで巷に人望の高かった任侠の士・田光の知遇を得ていた。
彼はまた筑(琴に似た竹製の楽器)の名手の高漸離と意気投合し、いつも二人で酒を飲み歩き、酔うと高漸離は筑を鳴らし、荊軻はそれに和して歌い、傍若無人に振る舞っていたが、巷に酔いしれているかと思えば独居して書を読み、また剣を磨くことも怠らなかった。
 
秦が着々と天下統一の歩みを進めている頃であった。

韓を滅ぼし、趙を滅ぼした秦は、趙と燕との国境を流れる易水に臨んで、将に燕に攻め入る態勢を整えていた。
その時燕の太子の丹が秦王・政を刺すべき刺客として選んだのは、田光であった。

だが田光は自分の老齢を考えて、荊軻を薦めると、その決意を励ますために、自らは首をはねて死んだ。
大事を命じられながら果たし得ない老骨の身の、それが太子のためになし得る唯一の道だと思ったのである。
 
そのころ、秦から樊於期という将軍が燕に逃れてきて太子丹の元に身を隠していた。

荊軻は秦王が莫大な賞金をかけて樊於期の首を求めているのを知ると、その首と、燕の督亢の地図を持って行けば秦王は心を許して引見するに違いないと考え、そのことを太子丹に申し出た。

太子丹は荊軻を一刻も早く秦へやりたいと焦慮しながらも、樊於期を斬るには忍びない様子である。
荊軻はそれを知ると、自ら樊於期に会って死を求めた。
それが秦王に対する樊於期の恨みを晴らし、太子丹に対する恩にも報い、かる燕の憂いを除く道であると説いたのである。

――樊於期は田光がしたのと同じように、荊軻の前で自ら首をはねて死んだ。
 
樊於期の首と、督亢の地図とのほかに、荊軻はともに秦へ行くべき友人を待っていた。
太子丹は秦舞陽と言う若者を副使として荊軻につけたが、荊軻には秦舞陽が頼みとするに足りる男とは思えなかったのである。

友は遠方に居てなかなか来なかった。

太子丹は、既に出発の準備を整えながら荊軻が立たないのを見ると、いよいよ焦慮して、秦舞陽一人を先に行かせようとした。荊軻は心ならずも友を待たずに行くことに決めた。
秦舞陽を一人やることは危ないと思ったからである。
それに時期も切迫している。太子の焦慮も解らぬではなかった。
 
太子丹をはじめ、事を知っている少数の者は、服を喪服に替えて荊軻達を易水のほとりまで送っていった。
いよいよ別れの時である。

高漸離は筑を奏で、荊軻はそれに和して歌った。

易水の風は冷たく人々の肌を刺し、高漸離の筑と荊軻の歌声とは悲壮に人々の心をふるわせた。

秦へ行けばおそらく生きては帰れないであろう。
これが荊軻を見る最後かと思うと高漸離は暗然と涙ぐみ、密かに涙を拭いかつ筑をかき鳴らして友
を送った。

荊軻は進みながら歌った。
 
風蕭蕭として易水寒し、
    壮士ひとたび去ってまた還らず。

(かぜ しょうしょうとして えきすいさむし、 そうしひとたびいって またかえらず)
 
その声は人々の肺腑をえぐった。

人々は皆、眼を怒らして秦の方を睨み、髪逆立って冠を突くばかりであった。

――すでにして荊軻は去り、ついに振り向くこともなくその姿は遠くなっていった。
 
秦へ行った荊軻は、樊於期の首と督亢の地図とを伴って、秦王政に近づくことを得たが、匕首一閃、秦王は身を引いて、荊軻の手にはただ王の袖だけが残った。

後ろから王を抱きとめるはずの秦舞陽は、もろくも人々にねじ伏せられていたのである。

荊軻はついに志を遂げることが出来ず、みずから自分の胸を開き、指さして秦王に刺させた。

秦王政の二十年、燕王喜の二十八年、紀元前二二八年のことであった。

政が天下を統一して始皇帝と号したのは、それから七年の後である。
                       (「史記」刺客列伝)
 
 
 
河出書房新社昭和38年1月30日発行の 
「中国故事物語」54pageに記載されています。
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-054.htmかぜしょうしょうとして

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