・被災者らに喪失感 いのちの電話、熊本でも応対
2011年04月05日
東日本大震災の被災者向けに、熊本など各地の「いのちの電話」が無料で相談に応じている。被災地から掛かってくる電話だけに、相談内容はどれも切実だという。
相談の受け皿を被災地の外に広げようと、全国組織「日本いのちの電話連盟」と各地の組織が3月28日、電話の発信エリアを岩手と宮城、福島、茨城の4県に限定する「いのちの電話震災ダイヤル」をスタートさせた。
熊本には4日までに28件の相談があった。避難所から携帯電話を通して、家族や知人らを亡くした喪失感のほか、将来への不安を訴える人が大半だったという。
中には「なぜ自分だけ助かったのか」「一緒に死ねばよかった」と自らを責める人もいた。事務局は「被災者はいま気が張っているが、生活が落ち着くにつれ内向的になっていく。心のケアは今後ますます重要になる」と説明する。
震災ダイヤルはいったん9日で終了するが、連盟事務局は「心のケアが必要な被災者は4県にとどまらない。発信エリアをどこまで広げるかなどを検討して、早く再開したい」としている。
震災ダイヤルは、フリーダイヤル0120(556)189。受け付けは午前8時~午後10時。(石貫謹也)
http://kumanichi.com/news/local/main/20110405006.shtml
この世界に生まれてくることにも、この世界から死んで去っていくことにも意味はない。
それはただ物事が生じて、生じたから終わりがあるというだけのことでしかない。
生じる前と終わった後に何かがあると想像するのは、ただいまここに生きている人間のみがなしうる妄想である。
生まれてくる前の人間、死んだ後の人間は共にそんな事は夢想もしない。存在しない者は想いも持たない。当たり前のことである。
しかし今ここで生きている人間たちは、自身が生きている事ゆえのその特権として、まだ生まれていない者たちと、もはや死んでしまった者たちの、それぞれの形持ち得ぬ存在に対し、存在意義を付与することができる。
無論存在しない者たちに対してさえ存在意義を付与できるのであるから、当然ここに実際に存在し生きている者たちに対してすることは当たり前に行える。
それは自分自身に対してもなし得る。
私たち生きている人間が、生きていない人間も含めすべての考えられうる限りの人間存在に対して、この世界での様々な存在意義を付与することを、私たちは「物語」と呼んでいる。
つまり死んで行った者たちはもう物語を紡ぐことはない。できないのである。
だから生きている者たちは彼らに代わって彼らの物語を紡ぎ続けてやるのである。
そうして彼らの存在に存在意義を認め続けてやるのである。
それがこの世に生きている者がなすべき、死んでいった者たちへの真の弔いというものである。
たまさか自分のみ生き延びたは、ただそれをなすためであろう。
愛する者を失って自身が生きる意味を失ったと感じるのであれば、なお死んでいった者たちの存在に意義を認め続け、彼らの物語をこそ紡ぐため、生き続けよ!
彼らの存在を無に埋没させぬためにこそ、彼らを記憶するあなたが生き続けよ!
何も考えず、気が済むまでただ無心にそれだけしておれば良い。
やがて死者のための物語を紡ぐ作業が、すなわち己が生きていることを根底で支え自身の生にも意義を与えていることに気づく時が来よう。
それが供養が完全に成就した瞬間の証である。
あとは心置きなく、自分の為に生きなさい。
いずれにせよ、わずか数十年のうちに自分もまた誰かに物語を紡いでもらう側の存在となる。
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