2011年4月8日金曜日

汝らの祈りこそ この世をば黄泉に沈めん

・池上彰 完全無欠の「定義づけ」に振り回されず自由発想を
2011.04.06

 東日本大震災においてニュースのわかりやすさ、速報性が重要であることを痛感しました。そんな中で、ミスターニュースこと池上彰氏の番組は「分かりやすく、ポジティブ」な内容でした。連日の被災者、被災地のTV映像で落ち込み、不安を抱えていた国民に大きな安心感を与えてくれましたね。さぁそんな池上氏の前世を見てみましょう。

 池上氏は1950年8月9日生まれ、ドラゴンズヘッドは「魚座」。前世の多くを科学者、医療関係、教師として過ごしてきました。特に科学や医療では研究職に打ち込み、多くの実績も残しています。ですからあらゆるものを、細部にわたって吟味、分類することにたけています。

 このような過去世を持つ池上氏ですから、ニュースの伝え方が分かりやすく、聞いている私たちも理解しやすいのですね。興味のある範囲ならどの分野でも精通している方なのでジャーナリストとして一流で、教える側に立っても教師としての過去世も長いのでたけているのです。ニュースを見ていて「学校の授業」を受けている気分になるのはそのためなのですね。

 そんな完全無欠なイメージの池上氏ですが、その完全さに欠点もあります。とにかく何にでも「解析、分類」をしてしまいがちです。そして分類されたものを「定義づけ」しなければいられないので、ついつい「自分が定義したもの」に振り回され、行動範囲を狭めてしまうこともあります。完全であるが故に起きる欠点ですが、今後の活動の中でもっと自由な発想で研究を進めてくださると、新しい視点も生まれますよ。

 ■はる 沖縄の伝統的なユタの家に生まれ、その特異な能力を使い16年間で延べ16万人のカウンセリングを行った沖縄では伝説のユタ。現在は拠点を神奈川県に移し、一般鑑定を中心に、霊視、オーラ、手相、人相、タロットなどによる鑑定で信頼が厚い。「はるのオールナイトニッポンR」(ニッポン放送)出演。はる監修の占い携帯サイト「古代琉球癒歌はるのヒーリングギフト」(yuta.tv)もスタート。

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110406/enn1104061552014-n1.htm







別にこの人の商売のジャマをするつもりもないのだが、なんだかなぁ?という気がする。

前世、ユタ、特異な能力、オーラ。

でもそういう物が、この誰でも言えそうなとってつけたただの人物評のどこから読み取れるのかというと、甚だ疑問なわけである。

ユタというよりむしろ与太。特異な能力というより無能力。言葉の軽さに人格の薄さが透けて見える。

その程度の才覚で商売しようと想うたくましさだけはさすが日本で一番貧しい都道府県出身者と思わないでもない。
きっとお金の事で人に言えないような苦労して、だから何してでもお金と名誉が欲しかった、目立ちたかった、それだけ惨めな人生だった。やたら伝統の血統とか自己紹介コピーに使うのはそのコンプレックスの裏返し、そんなところか?

(沖縄では、ユタは食い詰めた未亡人がやる徒弟制度の商売の趣もある。徒弟制度なのに伝統的な家柄とか、一体どういう伝統なのか、あんまり想像もしたくないがやはり代々DQN母子家庭で、母ちゃんがヒステリー患っていたのであろうか?小娘の浅知恵とは言え、実に哀れだ。)


想うのだが、宗教とか占いとかオカルトに強くのめり込む人と言うのは、基本不孝な人生の人しかいない。

まあこれもよくよく考えればあたり前のことだが、私生活が充足していれば、神仏になど真剣に向き合う必要性などそうそうは感じ無いはずだし、それを日常生活まで捨て棺桶に片足突っ込む勢いで宗教にのめりこんで入れあげるというのは、おおよそ尋常な精神状態ではない。

しかして、そういう人間に限って自身の置かれた境遇や自己の精神状態を冷静に省みることもなく、目に見えぬ神仏や生き神を称した馬鹿の御託にすがり、ひたすらな他力本願の問題解決を求める。

そのとんちんかんぶりは、まさに木に登りて魚を求めるというやつである。まあ樹違いだから仕方ない。

かくして信仰深まるほどにますます本来の問題解決から遠のき、幸福を得るつもりで却って土壷に向かって一直線に突き進む。

その背中を金のために後押しする、霊能者や占い師、サイキックマフィア、新興宗教教祖ども。

奴らは困窮して救いをもとめている人間の生き血まで平然とすすって、相手に何の見返りも与えることなく自分さえよければと生きながらえる真の悪霊。神仏の名を騙る真の悪鬼悪魔。

救いがたいこの世の地獄はまさにこういう連中こそが率先して作り上げている。

だから救いを求め彷徨するしか無い哀れなバカどもには、「神仏がそれほど恋しいならいっそ死んで会いに行け!この世でしあわせになりたいのであればこの世でしっかり生き抜いて幸せになるべき方法を考えなさい。」と教えるべきなのであろう。

だいたいがそいつらの宗教の基本設定にしたところで基本、あっちの世界は神霊の領域、こっちは人間様の領分なのである。

そうそう神霊がこっちに出張ってくるものならば、世の中そこいら中に死から生き返った奴とか祈っただけで死病の床から蘇ったようなのが、もっと当たり前にごろごろしているはずであろう。

(そんなのが街中にいっぱいうろついていたら気色悪いじゃないか!おちおち散歩もできない。)

さて、かつて釈尊は死んだわが子を蘇らせてくれと泣き縋ってきた母に向かって「この村の中から一度も死人を出したことのない家に行き、そこの米(本来の設定ではけしの実)をもらってきなさい!そうすれば生き返らせてあげよう」というような意味合いのことを言っている。

無論どの家でもその久しい家系の中でかつて一度と言わず死者を出し野辺の送りをしたことがある。

そこでようやくその理性なく振り乱した母は、この世の冷徹な理の存在に気づくのである。

すなわち愛するものを失ったことのない人間は誰もいない。誰も死の定めを奇跡で逃れる特権は持ち得ない。なにより生じた者は、生じたがゆえに必ず滅するしかない。

もし生じてなお滅せぬのであれば、この世がすなわち二度と死ぬことのない者たちの国=黄泉となりかえるしかない。

この世でもし一人蘇らすことが許されるなら、どうして全ての死人を蘇らせてはならぬ道理があろう?

しかしもしここに永遠に死の悲しみが訪れないのだとすれば、それは新生の悦びもまた二度とこの世界に訪れることがないということしか意味しないのである。

すなわち永遠の生命を求めるというは、自分が愛するこの世界そのものを新生の有り得ない、永遠の死者の国にすることを意味する。

これこそが自分さえよければ自分の想いさえ叶うなら他はどうなっても良いと考える、その卑しい想い、無知なる祈りの招く必然的結末なのである。

故に釈尊はこの世に生まれやがて滅することを約束された者たちに向かって、そのような道理に沿わぬ理不尽な欲望をこそ吹き消すことを固く戒め教えたのである。


それから二千有余年。

いまだに迷妄深く、惑いの眠りより抜け出しえぬ幼い心の住人ばかりのあるこの世界では、神の言葉を騙る取るに足らぬキチガイや詐欺師ごときの言葉に踊らされ、生まれ持った理性をさえ曇らされ、自分のみの幸福、自分のみの幸福を、神仏に必死に請い願い、もってその代償としてこの世界すべてを黄泉の国に仕変えよ!という、無知ゆえの邪悪な祈りが繰り返されている。

我こそを真っ先に救い給えと祈るその祈りこそが、この世界を汚し貶める真の原因であることに誰一人想い至るだけの知恵さえ微塵もない。

どころか神仏の奇跡や福音とやらを喧伝する、その実この世を死者の国にせんと企む悪霊の手先の如き奴らばかりと来ている。

人がこの世に生まれた以上死ぬことは仕方ないことなのだ。死の別れが辛いならまた梅、もといもっと産め。その先には新生の悦びも松、もとい待っていることであろう。

これこそかつて黄泉比良坂での伊弉諾伊邪那美の間で交わされた誓約の真の意味というものである。












参考


「それは祇園精舎があったことでも有名な古代インドの都市、舎衛国(しゃえいこく、シュラーヴァスティー)での話です。

 あるとき、幼い男の子を亡くしたばかりのキサー・ゴータミーという名の女性が、遺体を抱えたまま、「子供に薬を下さい、薬を下さい」 と、狂乱したように町中を歩き回っておりました。ゴータミーは、たまたま舎衛国に来ておられた尊者の噂を聞きつけたのでしょうか、釈尊のもとに行き、同じように薬を求めました。さて、釈尊はどのように応対されたと思いますか。
 釈尊はこんな風に答えられたといいます。
 「よろしい、ケシの粒を持ってきなさい。ただしいまだかつて死人を出したことのない家からね」。
 これを聞いたゴータミーは釈尊がケシの粒から子供を生き返らせる薬を作ってくれると思ったのでしょうか、あちこち探し回ったけれども、ついにこれを得ることが出来ず、しかし人生の無常ということを知り、出家して後にさとりを得たのでした。

 今の日本でいえば死者を出したことのない新しい家に実の生る木が植わっていることもあり得るかもしれませんが、昔のインド社会では家に実の生るケシの木が植わっているような家は比較的裕福で数世代の歴史を持っていたのでしょう。それはともかく、ゴータミーは釈尊の指示に従って家々を回りつつ、あちこちで「うちも去年親を亡くしたんですよ」とか、「私もついこの間子供を亡くしたばかりで、お気持ちはよくわかります」などという話を聞いたに違いありません。こういった話を聞きながらゴータミーは次第に心の平静さを取り戻し、自分の命と思っていた子供の死を受け入れていったことでしょう。ゴータミーにとってケシ粒さがしは、自分探しでもあったはずです。子供の死はもうとりかえしのつかないことだ、しかし子を亡くしてもなお生きている私はここにいる、と。こうして釈尊のことばの本意を知ったゴータミーはあらためて釈尊のもとに行き、そこで釈尊は初めて法を説かれたのでしょう。ゴータミーは最愛の子供を亡くしたことを縁に、仏法に出会い、よろこびを持って自分の人生を生き直すことができたのです。」

http://mujintou.lib.net/houwa1.htm

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