2011年4月8日金曜日

東京東北運命共同体論

・これが言いたい:関東は東北と運命共同体の覚悟がいる=貝原俊民
 ◇「臨時救災消費税」で復興を--前兵庫県知事・貝原俊民

 東日本のこの度の大災害は地震・津波・原子力の複合災害で、その対策は阪神・淡路大震災のそれより数倍も困難だと思われる。原子力災害はまだ進行中で、その終息がなければ、復興を本格的にできない状況である。

 しかし、そろそろ復興の枠組みづくりが始まろうとしているいま、阪神・淡路大震災からの復興で実現できなかったことのうち、急いで検討すべきことを、取り急ぎ国民の皆さんに訴えたい。

 その一つは「復興村」をつくることだ。厳しい避難所生活は病弱者や高齢者には耐えられるものではない。したがって、一日も早く仮設住宅を提供すべきである。

 しかし、今回の災害では集落単位で崩壊しているので、住宅だけでなく役所の支所、診療所、スーパーなどワンセットで復興村をつくらなければならないのではないか。

 この場合、建築基準法の規制を緩和した20年住宅といったものを低コストで早期に建設し、被災者に安い費用で提供することが考えられる。

 仮設住宅(原則として2年)でも1戸約300万円はかかるので、病弱者や高齢者用の緊急仮設住宅は別として、少し時間をかけても「復興村」を建設する方が被災者の生活復興につながる。

 その二つは「臨時救災消費税」の創設である。大人から子どもまで1日1食10円を節約すれば1人当たり年間約1万円。1億2800万人が実行すれば1兆円を超える。資力のある人に少し多くすれば数兆円になる。3年程度の「臨時救災消費税」として広く薄く負担する。子ども手当、高速道路料金低減などの財源も活用すれば、借金はそんなに多くいらない。

 節約は経済を停滞させるとの意見もあろう。だが、これらの資金を復興事業にあてれば被災地での需要が拡大する。このうち、緊急のものを除き「救災復興事業」として10年ぐらいかけて施行することによって、被災地の産業復興と雇用につなげたい。

    *

 その三つは、わが国の安全のため複数の「自治体広域機構」をつくることである。

 集中と巨大化により集積効果を上げる東京を頂点とする中枢とそれに依存する地方という国土構造を、これまで官も民も是としてきたと思う。今回、東京圏が電気や食材など東北の住民の忍耐と寛容によって支えられていることが浮き彫りになった。東北と関東は運命共同体である。

 だから震災復興は東北・関東の自治体が「広域復興機構」を組織し、これまで東北の恩恵を受けて東京圏が蓄積した豊かさを還元する方向で一体的に進める必要がある。

 その他の自治体も傍観者ではありえない。東海・東南海・南海大地震が発生した場合は、中部・関西・四国が運命共同体となる。今は西日本の自治体の「広域支援機構」が阪神・淡路大震災で蓄積した知恵を役立て、復興を支援しなければならない。復興はふるさとを思う被災者の熱い思いが基本であり、自治体主体でなければならない。政府は二つの「自治体広域機構」と連携して国民あげての復興体制をつくるべきである。

 巨大災害があっても、3000キロにも及ぶ細長い日本列島が、同時に毀(こわ)れることはない。列島のどこかが大きな被害を受けたとき、他がそれを補完して国家機能を維持する考え方で国土構造を再構築しなければならない。

 このことは、東京一極集中を是正する国家像構築を先導することになろう。


 ■人物略歴

 ◇かいはら・としたみ
 95年、阪神大震災発生時の兵庫県知事。06年からひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。

http://mainichi.jp/select/opinion/iitai/news/20110407ddm004070011000c.html




自治体と中央の統治システムの齟齬の実際を体験した人物の被災地再建案として、いろいろ傾聴すべき提言であったと思うので引用させてもらった。

(もっとも広範囲な国土損壊が生じた場合、地方自治の独立とか道州制という統治システムには致命的な欠陥があることが意識されてくるであろう。
異なる道州にまたがる被害、巨額の資金を要する復興予算、国家の総力戦とも言うべき局面で分断され地域独立性の強い統治システムでは対応できない!
緊急時には国家の総力と意志を結集一元化できる中央集権制こそがもっとも効率的かつ合目的的なのである。

そのことは今だからこそあえて指摘しておきたい。なんでも中央集権が悪い、官僚が悪いと言ってさえいれば済むのであれば苦労はないのだ。
大きな予算であればあるほどは地域性に偏らない大局的な国家観を持ちうる統治組織でなければ、効率的で公正な運用は基本できない。
なおかつ今現在それが出来ていなかったのだとすれば、おそらくはそれは統治構造そのもの問題ではなく社会や組織における精神性の緩みという問題の方が大きいのである。
具体的には権限と責任の一体化ができておらず、権限があるのに責任の所在がないとかというチグハグな運用面での問題があったに過ぎないのだ。

しかしみんなの党のアジェンダ馬鹿とか、大前研一とか堺屋太一とかはそこまで想定できるだけの強い知性を持ち合わせていない。だからすべての原因を中央集権制という統治構造の問題に安易に帰結させてしまうのである。

しかして繰り返すが、細分化された統治機構は、大規模な災害時に対応しきれない。それはいざ事が起きたとき、致命的な失敗を引き起こす要因としかならない。)



広範囲におよぶ国土の破壊は、同じ範囲における壮大なる都市計画の実現を可能にする。
既に古くなり耐用年数の過ぎつつあったインフラを新しく安全性と効率のよいそれに置き換え、土地の付加価値と利用効率を上げ、それによって高度成長期の土地本位制のごとき経済循環を取り戻す。

かつて関東大震災のおり、あるいは太平洋戦争末期における東京大空襲や原爆投下など全土の焦土化の後、政財学民の叡智を結集し、疲弊しきった地に災害以前以上の繁栄をとりもどせたが如く、私たちは火に自らを投じ再び新しい生命を得るというフェニックスのように立ち上がっていくことができる。

屍の上にこそより美しい大輪の華が咲くというのは、その意味するところの道徳性とはかかわりなく事実なのだ。

ならば生きている者たちのその生きている証は、死んでいった者たちのその骸の上にその大切な生命の代償となるだけの大いなる価値ある繁栄を築いていくことしかないのだ。

ゆめゆめ、貴い犠牲の上につまらないものを創り上げてはならない。立派で意味ある再建を果たしてこそ、私たち生きているものの死者への責務も果たし得ると言いうものではないか?


最後になるが、東京都と東北が表裏一体の強い運命共同体であるということは十分認識しておくべきだ。
しかし残念ながら真の意味でそのことを理解できている国家観を持った都知事候補者が、ただ齢八十いくつもの老人である石原慎太郎、ただ一人しかおらないというのは、実に情けない眺めである。

平時なら、パフォーマンスの上手いだけの馬鹿でも出来る仕事だが、危急時に於いては、そういう馬鹿に任せると生命にかかわる。

淫行禿(そういえばインコみたいな顔してるな)とブラック企業の守銭奴社長(目付きが悪人のそれだ)、こんなもん選挙以前に人格的な意味で論外であろう。

今回都民は軽い雰囲気で自分たちのことだけを考えて決めるのではなく、自分たちや運命共同体である被災地の方々の行く末まで真剣に考え、真に自分たちの命を任せられる顔つきをした漢をこそ選ぶべきだろうと想う。

まあお好きなようにすれば良い。民主党に政権与えた時だってやはり馬鹿は馬鹿だった。おかげできっちりツケを支払わされるはめになっている。淫行やブラックにすれば、それはそれでまたとんでもない悲喜劇になることであろうよ。それで東京が終わるとしたら、それもまた民意のなせる業といえよう。

古人いわく「民の声は天の声」 僕いわく「馬鹿の群れは天魔の声に従う」

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