2011年4月6日水曜日

凍結された陰謀シナリオ「再臨の救世主」

・サイ・ババが危篤状態、インド
2011年04月05日 16:53 発信地:ハイデラバード/インド


【4月5日 AFP】死者をよみがえらせる奇跡を起こしたとされ、世界中に数百万人の信者を持つインドの霊的指導者、サティヤ・サイ・ババ(Satya Sai Baba、85)が、危篤状態に陥り、同国南部の病院で集中治療を受けていることが5日明らかになった。

 サイ・ババは前月28日、肺と胸のうっ血によりアンドラプラデシュ(Andhra Pradesh)州プッタパルティ(Puttaparthi)の病院に入院した。同病院の4日夜の発表によると、容体は悪化しつつあり、人工呼吸器をはめて腎臓透析を受けている。

 サイ・ババの容体については、政府高官が「安定している」と発表するなど、情報が錯綜(さくそう)している。病院には安否を気遣う信者ら数千人が到着しつつある。

 信者は、いくつかの奇跡を起こしたサイ・ババを「神の生まれ変わり」と称し、あがめている。インドの首相元首相や財界トップも信者であることは有名な話だ。

 サイ・ババの財団は同国の保健・教育分野に資金援助を行っており、サイ・ババ氏が入院したのも財団が財政的な援助を行っている病院だ。(c)AFP

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2794314/7049807






電気を生み出す大本の原子力発電所が、自分のところに必要な電気がなくて制御できなくなる。

神霊の力(あるいは神通力)で死者を生き返らせたと吹聴する自称「シヴァの化身」とやらのおっさんが、西洋医学の力で透析を受け自らの延命を必死で図っている。


なんとまあ、世の中の眺めは悪意じみた冗談で出来ているものかは?と感じてしまって、こらえ切れず大笑いしてしまうしかない。

しかし、それにしてもどこまでも間抜けすぎる眺めだ。






・サティヤ・サイ・ババ(Sathya Sai Baba 1926年11月23日 - )
インドの教育者・社会奉仕者であり、インド国内では多くの要人も聖者として認める霊的指導者である。
活動本拠地としてインドのいくつかのアシュラム、病院、学校があるほか、数百万の信奉者と数百のサティヤ・サイ・ババ・センターを各国に持つ。

サイ・ババは、1926年11月23日に南インド、アーンドラ・プラデーシュ州アナンタプラム県のプッタパルティという小村の貧しいラトナーカラム家に生まれ、サティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ (Sathya Narayana Raju) と名づけられた。

1940年5月23日、サイ・ババが14歳の時、自分はシルディ・サイ・ババ(Sai Baba of Shirdi)の生まれ変わりで、シヴァとシャクティのアヴァター(化身)であり、人々の悩みを取り払うために降臨したと宣言した。

1940年10月20日に家を出て説法を始めると、不治の病を治すといった数々の奇跡が人々に知られるようになり、サイ・ババの名前は次第にインド全土に広がっていった。

1960年代末には海外にもその名が広まり、インド人やインド系の民族を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつようになった。

1990年代には、シャンカル・ダヤル・シャルマ元インド大統領や、P・V・ナラシマラオ元インド首相らがサイ・ババを表敬訪問した。日本では青山圭秀がサイ・ババを取り上げ、『理性のゆらぎ』(1993年)、『アガスティアの葉』(1994年)、『真実のサイババ』(1994年)を出版、ベストセラーとなった。

1990年代末から2000年にかけて、イギリス人デヴィッド・ベイリーらがサイ・ババのバッシングを始め、マスコミやインターネット上でさまざまな噂が飛び交い、信奉者が減少した。2000年9月、ユネスコはこれらの批判報道を憂慮し、サイ・ババの教育団体とユネスコの共催で開催予定だった教育会議への共催と参加を撤回した。日本ではパンタ笛吹がデヴィッド・ベイリーらの供述をもとにした『裸のサイババ』(2000年)を出版した。

(1990年代末から2000年にかけてサイ・ババに対する批判が高まった。

インド国外では、バサヴァ・プレマナンドやイギリス・ウェールズのピアニストのデヴィット・ベイリーらが、「サイ・ババの物質化は手品であり、青少年に性的虐待をしている。サイ・ババの病院では臓器売買が行われている」と主張した。

また、サイ・ババの住居で4人の男性の殺害事件が起こったとされていることも、批判の的になった。

2000年には、これらをもとに、ヨーロッパのマスコミがスキャンダル記事を掲載、イギリスのBBCは特集番組を放送し、さまざまな波紋を生んだ。

欧米諸国、特に北欧とオランダではデンマークの映画 "Seduced by Sai Baba" の公開以降、信奉者が減少した。

インドでも、これら一連の海外での批判を一部のマスコミが報道したため、内容を見た人々が批判に加わったが、インドの4大紙 Times of India, The Indian Express, The Hindu, The Statesmanは批判報道はしなかった。

デヴィット・ベイリーらは、サイ・ババに関する批判をユネスコに通報、 ユネスコはこれらを受けて、2000年9月に予定されていたサティヤ・サイ教育機関主催の「世界価値教育会議」への出席を急遽取りやめ、9月15日、ユネスコの公式サイトに会議欠席に関して『サイ・ババ教育会議への参加撤回についての公式見解』を発表した。

これに対し、インド前首相アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー(声明文発表当時は現職の首相)、P・N・バガワティ(元インド最高裁判所長官)、ランガナート・ミシュラ(元インド最高裁判所長官、インド人権委員会委員長)らは、サイ・ババは全く潔癖であり批判の内容は事実と反するという声明文を発表した。)

1999年には、元アメリカ大統領ビル・クリントンがプッタパルティーに訪れている。その他、ビートルズメンバーが訪れている。

2001年を迎えるとサイ・ババの活動は見直され、再び信奉者が増え始め、無料の病院や学校、水道設備の供給といったサイ・ババの社会奉仕事業が高く評価されるようになった。2001年、国連ハビタットはサイ・ババの提唱するヒューマンバリュー教育(EHV)を用いた水教育をアフリカ諸国で開始した。2004年には国連ハビタットとアジア開発銀行がサイ・ババのヒューマンバリュー教育をアジア太平洋地域の水教育に導入するプロジェクトを開始した。ユネスコは2004年2月5日、インド政府ユネスコ常任代表に2000年の教育会議の一件に関する謝罪文を提出した。

以降、2000年代には、アブドゥル・カラムインド大統領、マンモハン・シンインド首相をはじめ、インド各州の要人などが、毎年サイ・ババを表敬訪問している。アメリカではミズーリ州セントルイス市のフランシス・レイ市長が2005年9月11日を、アーカンソー州リトルロック市のジム・デイリー市長が2005年11月23日を、各市のサティヤ・サイ・ババの日に制定し、サイ・ババの人道的活動を賞賛した。

人間的価値、ヒューマン・バリューを主体とするサイ・ババの教育法も高く評価されており、カナダでは、サスカトゥーン市、エドモントン市、レジャイナ市が2006年5月28日を、ヒューマン・バリューの日に制定し、サイ・ババの教育法を推奨している。


サイ・ババは、ダルマ(正しい行い)とヴェーダを復興するために降臨したと述べ、16歳まではバーラリーラ(聖なる戯れ)を、17歳から32歳まではマヒマ(奇跡)を、その後は人類の教化を主に行い、世界をサティヤ(真理)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)、アヒンサー(非暴力)に沿って導くと語っている。

その後の奇跡の中では、ヴィブーティー(聖灰)や指輪や時計、ネックレスやフリーサイズの腕輪などを出現させることが多く行われる。

一般には、それらは手品であると指摘されているが、サティヤ・サイ・オーガニゼーションはこれを否定している。

信奉者達はしばしばサイ・ババによるさまざまな種類の眼を見張る奇跡を報告する。
それら奇跡の品々は、サイ・ババが手のひらを回転させて空中に出現させる場合、サイ・ババが河床の砂の中から取り出す場合、サイ・ババの住居から遠く離れた信奉者の家で間接的に突然出現する場合がある。
遠距離での物質化は海外においても多くの例がある。

病気や怪我を治す奇跡の場合もそれと同様に、直接病人に触れたりヴィブーティーを与えることで治す場合と、病人の夢に出てきて夢の中で触れたりヴィブーティーを与えることで間接的に治す場合がある。

サイ・ババは遠隔地で起こる奇跡について、奇跡は自分の名刺代わりであると述べており、サイ・ババの遍在性を強調している。

インドには、現在でもサイ・ババの写真からヴィブーティー(聖灰)が出続けている所や、アムリタ(甘露)が流れ続けている所もある。
これらの模様は1990年代に日本のテレビ局が取材し、全国ネットで放映された。

                  (ウィキペディア)









この世界の上流層にいる、ある利口な連中が用意していた、世界中の人間を大掛かりなペテンにはめるためのシナリオの一つに「再臨のキリスト」というものがある。

世界の殆どの人間は何らかの信仰を持っていて、おそらくはその信仰のほとんど全ては神秘という名の迷信であり、ゆえにその中核には奇跡とそれを体現できる人物の存在が欠かせない。

ならばそういう信仰を持つ馬鹿共を大々的に騙し操ることさえ出来れば、世界支配は、いや変革は容易であろう。

そのために必要なのは奇跡と奇跡を起こす道化。


その発想自体はおそらく14世紀ごろに既にあったのであろう。そう伝承されている。

ただ奇跡の演出が可能になる、あるいは情報伝播が世界中の人間に同時に作用できる、そういう技術段階に到るまで時間が相当にかかったので、それが不可能だっただけの話である。

可能になったころ、最初にやったのが、ファティマのマリア出現(1917年)。

(神の出現の)演出と、情報操作がどれくらいの影響を及ぼせるのか、その調査も兼ねていたが、驚く程の成果をあげることに成功した。

そのつぎの段階として、母ちゃんのほうを出したのだから、とうぜん息子の出現ということになる。

その演者として世界中で何人か、再臨するイエス候補者が極秘裡に用意された。


組織が選んだ候補者の一人が、このオレンジガマガエルもとい、サイ・ババだった。担当はイギリスのロッジ。

他にも年代、出身地、宗教母体を問わず、何人か予備を含め、選ばれている。

後年のサイババへのバッシング時、彼の擁護に回っていた政治指導者のうち何人かは、組織にあってサイババにまだ利用価値があると主張していた人たちでもあった。

実際、再臨の救世主を一匹用意するのは、膨大な時間と手間がかかる。それに加えて組織内部での権力抗争にも関係していた。
自分が育てた候補が正式の救世主として表舞台での人類の棟梁になれば、その外祖父とも言える自分たちにも当然の出世は約束される。こっちは12使徒だろうか?

だから組織内部の対抗派閥は、敵対派閥の有力候補者の足をひっぱるためのスキャンダルを自分が仕掛け人だと分からぬ形でそっと外部に流し、相手候補を潰そうともする。

それが一時期あまりに酷くなったので、救世主出現のシナリオは当分の間凍結ということになった。

(本当は冷戦が終わったので、出す必要がなくなったことが一番大きい。表の政治家の連中の連帯のせいで裏の組織の連中の思惑が全部潰されたという意味では、実に痛快なことではあったが。)

自分が救世主になれないことを知ってサイババはさぞやる気を失ったことであったろう。まあしったこっちゃない。

だいたい見た目が三頭身ガマガエルなのに、救世主とかどんだけ図々しいのかと想う。(自分で鏡見て断れよ、サイババ。)

僕なら、断然プロレスラーのブルーザー・ブロディ(故人、本名フランク・ゴーディッシュ)をこそ再臨のキリストに仕立て上げるべきだったと想う。

実際のイエスは小柄で貧相な男だったが、ブロディはまさに雲を突くような大男でしかも宗教画から飛び出てきたようにイメージぴったしのユダヤ人でもあったのだ。

(返す返すもブロディとジャンボ鶴田の死が悔やまれてならない。

一度は裏切り者のプエルトリコ人の凶刃に倒れるも、3日目に再び死から蘇り強豪外国人12使徒を引き連れ馬場全日本のリングに乱入、その場で宿命のライバル ジャンボ鶴田に三冠戦挑戦をアピールするキリスト。

そうして実現した史上最大の三冠戦「ハルマゲドン・カップ」が世界中のアホども数十億人に向けて衛星中継されるのを見てみたかった。

試合では血まみれにされ絶対絶命、息も絶え絶えだったキリストが、突如リング上空に出現した聖母マリアの声援を受け立ち上がり、大逆転勝利を収め三冠王座を獲得、十字架の形のコーナーポストに寄りかかって「アイ アム ザ ジーザス!」と宣言するのである。

ちなみにバックコーラスは全裸の劇団四季女性団員か、一糸まとわぬ宝塚星組、あるいは生まれたまんまのAKB48。

その神々しい瞬間の、世界中のどよめきを見てみたかった。

その時はよく冷えたサッポロ黒ラベル用意して、聖書をジョッキ・コースター替わりにでん六の柿ピー食べながら観るつもりだったのに、、、、、、、。)

絶対にブロディをイエスに仕立て上げるべきだったのだ。

本当にあれぐらい世紀のイカサマ奇跡を演出する大舞台で見栄えするキリスト役はいなかった。実に惜しい人物をなくしたものである。

(それをあのデブプエルトリカンめ。)





まあいずれにせよ、それに比べりゃ、サイババ、あんた相当惨めだな?

(もっと惨めなのが、こんなので理性が揺らいだ馬鹿どもとか?本当、ちり紙みたく薄っぺらな理性である。)

超能力あるって設定だったんだから、死に様は誰にも見られないまま屍解(死体ごと消滅して昇天するって奴ですな。)したってぐらいの演出はするべきだったと想うよ。

まあ器量相応の最後かなと想う。

どうせ代わりに使える手駒は他にもいるからどうでもいい。救世主なんぞあんな物、割り箸と一緒だ。使い終わっても神(再生紙)にするぐらいのものである。

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