高校二年生の赤塚涼子はその時間、商店街のコンビニで友だちと一緒だった。
会社員の父は、海からそう遠くない事業所に勤めており、外回りをして少し遅い昼食をとろうと食堂にはいったところだった。
パートの母は、海沿いの加工工場で魚をさばいている真っ最中だった。
小学校5年の弟はメインストリートを友達たちと高台の公園に向かって自転車を漕いでいた。
昨日の晩は、父と些細なことで口喧嘩した。自分の持ち物を勝手に動かした弟を叩いた。そんな自分に味方してくれず注意するばかりの母に憤りを覚えていた。
しかしそれでも家族と一緒に過ごす日々が永久に失われることなど想像もしたことはなかった。
父は立派で尊敬のできる男性、母は自分もいつかそういう女性になりたいと思わせてくれるやさしい人で、病院ではじめて弟にあった瞬間を今も憶えている。この上もなく大切な家族だった。ずっといつまでも家族だと信じていた。
しかしその瞬間はいきなりやってきた。
大地が揺れた。
コンビニの店の商品はあっという間に崩れ、慌てて友達と外に飛び出た。街全体が揺れていた。
人々が全員外の道路に出てきていた。
そのなかの大人たちが叫んだ。
「津波が来る!、高台に逃げるんだ。」
群衆に小さなパニックが生じた。みんなが慌てて高台の公園に向かって駆け出した。
食堂にいた父は、揺れから数分後、戻った店のテレビで地震速報を見てから、直ちに車で家に戻ろうとした。子供たちが心配だった。祈るような気持ちでメインストリートを家に向かった。
母は工場の人たちとともに、地震後の津波を予想して直ちに車で丘の方に避難し始めた。
父は、途中メインストリートを自転車で走る息子たちとすれ違った。車を止め子供たち呼びとめようとドアを開けた瞬間、視界にあった息子は横波にさらわれ、そして自分も波に飲み込まれた。何を考える余裕もない、一瞬だった。
母は、車で高台に向かっていた。あと少しでというところで、頭上から襲ってきた波が7人の乗ったバンを押し流した。しばらく水に浮かび流されるまま、一緒に家屋まで流されている信じられない光景に唖然とし、しかし数秒後ゆっくりと濁った色の水の中に沈んでいった。
わたしこれで死ぬんだ。そう考えるしばらくの猶予だけがあった。
子供たち、夫、両親、友達、ああそういえば成人式の時に着た着物、まだ家にあったっけ?最後に妙なことを思い出しながら彼女の意識は永久に途絶えた。
家族が死んでいった同じころ、涼子は、高台の公園にいた。あのとき通りにいた誰かが挙げた一声が、自分を含め多くの人の命を救った。たぶんあの声に促されるまま無心に逃げ出さなければ、あれこれ考えていたら、自分も眼下のあの波に飲み込まれていた。
それにしてもなんてすごい眺めだろう。自分が生まれてからずっと暮らしていた街がぜんぶ流されていく。家が船と一緒に浮かんでいる。
家?
そうだ、私の家、私の家族。えぇぇぇ?生きているんだろうか?お父さん、お母さん、亮太。。。。
起きている現実を理解できた瞬間、驚きの連続に早鐘のような鼓動を繰り返すばかりだった胸にいきなり剣が突き立てられた。もう立っていられなかった。
涼子は意識を失ってその場に崩れ落ちた。
というような突然の悲劇、家族同士の死に別れという話は、おそらく今回、無数に起きていたのだろうと思う。(もっとも上の話は一から十まで即興ででっち上げたフィクションである。一応念のため。)
昨日まで普通にあった日常は、今日何もかも非日常の風景に消え去って行った。
それはテレビや新聞の中で見たことがある出来事だけれど、決して自分の身の上には起きるはずのないこと。
ありえないことではない、しかし決して理解し得ない、受け止めえないこと。
なのに、確かに自分はほんの少し前まで持っていた全てをいま何もかも、永遠に失った。
時間はやり直せない、なくなったものは取り戻せない、私はもう二度とあの人達に会えない。
僕はそういう喪失の瞬間がどういうものかよく知っている。
現実が現実であるはずの意味をすべて失って、いきなり自分だけ非現実の世界に放り込まれたような瞬間の虚無感をよく知っている。
それは僕自身、かつて確かに味わったことのあるものだ。
現実から切り離されてしまったゆえの立つ瀬ない圧倒的な無力感と、虚無の空間にひとり取り残された自分を他人事のように見つめているもう一つの意識。
どこまでも平行線のように交わることのない、分かたれたままの二つの心。
ただいずれにせよ、そうして分かたれてしまった二つの心を再び統合しない限りは、こっちの世界に帰ってくることはできない。
いっそ壊れて分かれたままの心でいるほうが、悲しみを直視しないで済む分、幸せだったかも知れない。
でもどうも僕は自分が壊れることを許せなかったようだ。
僕は世界を他人事のように見下ろしている上空から眼下の自分に戻ることを選んで、そびえ立つ無力感を自分の中から蹴飛ばすことを結果的に選んだ。
そのあと、たぶん直面するはずの悲しみをどうにか出来る自信は何もなかったけれど、どこにも戻る場所がないように感じられてそうする以外なかったのだ。
案の定、つまらない人生を取り戻した代償に、数年の間、思い出すたびに嘔吐するような悲しみの刃を全身に突き立てられることになった。
しかしいずれにせよ、時間がすべてを押し流し、書き換えていく。
少なくとも自分が意識できる限りの想いはすべて時の経過と共に塗り替えられた。
想いは時間にだけは抗し得ない。どんな悲しみも一切を虚無に戻す時間の圧倒的無慈悲さにだけは太刀打ち出来ない。知っていたことだけれど、実際に自分でも確かめた。
それでもたぶん、意識し得ない、どこか心のずっと深い部分で、刻み込まれた傷は消えようのない跡を残している。
それをもう一度見つめる事になるのは、たぶん自分が本当に死ぬその最後の瞬間になるのだろう。
ただそれまでは封じておく。
何にせよ、生きて行くためにはどこかで悲しみを騙しやり過ごし続けるしかない人生だ。それはかなり不条理だが、しかし仕方ないことでもある。
どうせ自分の心に嘘を付くしかない現実なら、笑いながら大法螺でも吹いて盛大に騙してやれば良い。そのうち、この現実も終わる時が来る。
次に泣くのはたぶんその時でいいと思う。
いずれにせよその時は必ず来るのだ。だから今はまだ、愛した人を忘れていくことを気にしなくてもいい。
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